まったくモテない41歳独身底辺男が流されるがままに適当に生きながらもがき足掻く日記
電話をしてみると、担当者は女性であった。
声から察するに20代と思われる若い女性のようだった。
さっそく事の経緯を詳しく聞いた。

俺も金融の知識がほぼ無いため、気付けばそのやり取りは1時間近く続いた。
それで、簡単に説明するとどうやらこういうことのようだった。
前に説明した通り、母は最初200万ほどで米ドルを買ったが、アベノミクス前でドル円は80円前後をうろついており、どうやら上昇の兆しが見えないとのことで、銀行側からそのドル円で豪ドル建ての社債を購入することを母に勧めたらしかった。社債などと言われても母がそれを理解できるわけもなく、しかしこれを購入すれば月々数%の利息が入ってくるという部分のみでどうやらこれを購入してしまったらしかった。
というより、俺が思っていた以上に母はなにも理解していなかった。なにせ、母はドル円で豪ドルを買ったと思っていた。だから最初の母とのやり取りで1度も社債などという言葉は出てこなかったし、俺も今母が持っているものは豪ドルそのものだと思っていた。
そういうわけなので、電話で俺が事の経緯を理解するまで1時間近くもかかってしまったというわけである。

そして母にあなたが今持っているのは豪ドルではなく豪ドル建ての社債を持っているのだ、と説明しても「いや、私が持っているのは豪ドルだよ」と言い張り、なかなか納得してもらえなかった。まあそれもそうだろう、社債という存在自体よくわかっていないのだから。

まあ俺も当時は社債というものがまったくといっていいほどわかっていなかったが、この一件のおかげでだいたい理解することができた。
まあ簡単に言えば社債というのは企業の借金だ。だから社債を購入するということは、その企業に金を貸すということだ。
だから個人が消費者金融で金を借りた場合、返済時にある一定の利率に従い利子を支払わなくてはならないのと同様に、社債を購入すればその企業が社債の購入者に利子を支払わなくてはならない。
そして期限がくれば社債を購入した額が戻ってくる。つまり元本が返還されるということだ。
そうなると支払われた利子分が利益となる。
リスクとしては、その企業が倒産した場合、元本が回収できなくなる可能性がある、など。
また社債は期限の途中で売ることもできる。ただしその場合売値は市場価格に左右されるため、購入価格を下回る場合もある。

そこで今回の場合、アベノミクスによりドル円は2012年12月の78円から翌年2013年5月には一気に103円を付けており、わずか半年で25円も上げたわけだが、その円安効果と中国はまだバブルが弾ける前のバブル真っ只中だったので、資源国であるオーストラリア経済は中国経済に大きく影響を受けることもあって、こちらも2012年11月の80円から翌年2013年4月には一気に105円を付けていた。

母からドル円を手放したと聞いてガッカリしていたが、実は豪ドルも同じように爆騰していたのだ。
この頃は為替など全然興味が無かったのでまったく気付かなかったが。
それでその女子行員が言うことには、この社債をこのまま満期まで持った場合の利子の全額よりも、今この豪ドル建ての社債を売って円を買戻した方がその為替差益による利益の方が大きいと言うのだ。

その差益は、母が最初米ドルを買った資金が200万だから、そこから計算してもすでに20万円台だと言われた。
さらにその女子行員が言うことには、豪ドルが100円を越えるのは5年ぶりであり、急激に上げてきたので今後これ以上上がるかどうかわからないからここで利益確定したらどうか、ということだった。

俺は何度も言うが、金融や為替の知識がほぼ無い上、相場観なども皆無だから今の位置がどのような状況かというのがいまいちよくわからなかった。
しかしアベノミクスでドル円も株も右肩上がりっぽいし、まだ様子見してもいいんじゃないか、と思って母にもその旨を伝えた。
母もとりあえず様子見で、ってことでその社債はそのままもっておくことにした。

しかし今回の突然降って湧いて来た一件で俺はふたつの小さな衝撃を覚えた。
まずはおそらく俺より10歳は若いであろうこの女子行員(母は銀行でやり取りしているので実際にこの担当の女子行員とは何度か会っている)が、俺の質問に対し即座に返答をし、理路整然と金融の説明をしてくる態度に対し、少なからずショックを受けた。
なぜならば、俺が街中で声を掛けていたかもしれないような若い女が普段はこれほどの金融知識を持ってしてそれで普通に仕事しているということと、それとは対照的に40歳近くの中年の俺が金融知識においてその若い女子行員の足元にも到底及ばないという事実を突きつけられたことだ。
そしてもうひとつの小さな衝撃は、金融商品というのは驚くほどあっけなく大きな利益が乗るものだな、ということだ。

引っ越してきてさあ新生活スタート、色々やろうと思っていたことがあるはずだったが、この出来事により俺の頭の中は常にそのふたつの小さな衝撃によって支配され続けることになる。

(つづく)


ちなみに豪ドルはその女子行員が忠告した通り、1013年4月の105円というのが高値となりそれ以降今まで更新されていない。(現在75円50銭付近)


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【2016/06/26 12:28】 | 投資
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同窓会オフが今から3年半前の1月であり、その春に当時住んでいたマンションの契約更新が近づいていたので、もうそこにかれこれ7年くらい住んでいたのでそろそろ引越しをしたいと思い、1月~2月は次の住居を探し歩いていた。
車も購入してから6,7年経っており、貯金もそこそこ貯まっていたので近々新車でも買ったときのために、マンションの下が駐車場になっているタイプの物件を探した。
さらにそろそろ中年太りが気になる年頃になってきたので、気軽にジョギングにいけるような場所がいいと思い、ある川の土手沿いに近い物件を探した。

探す方法はネットだけではなく、不動産屋に行く前にまず自分で住みたい地区を実際にうろうろ歩いたりしたので、物件探しにはけっこう日数がかかった。
そしてなんとか無事手頃な物件(とはいえ駐車場代込みだとけっこうな値段)を見つけることができた。

3月に引っ越してきた。やはり住環境が変わるというのは色々変化が感じられて良いことだ。景色が変わると世界が変わる。色々と新鮮な気分になれる。
さっそく絨毯やらカーテンやらの買い物に奔走した。

そんなまだ部屋の片付けもろくに済んでいない桜日和のある日、母から1本の電話が掛かってきた。
どうやらちょっと真剣な話、という雰囲気だった。
その内容はというと、母は銀行からある商品を購入しており、その商品が近年稀に見るほど値上がっているので、銀行の担当者から今その商品を売ったらどうか?と言われているのだが、どうしたらよいか?という相談だった。

とはいえ、母の言っている意味がいまいち理解できない。というのも、母は金融や為替のことなどほとんどわかっていない。どの程度のレベルかといえば、円高円安の概念すらよくわかっていない。「1ドル80円だったのが1ドル90円になって、80円から90円に上がってるのになんで円安なの?」と聞いてくるほどのレベルだ。
俺は俺で大学で経済系の学部を卒業してるくせに金融・為替の知識などせいぜい「円高円安の概念をかろうじて説明できる」レベルだ。

そんなだから母が何をどう説明しようとまったくピンとこないし、わけがわからないのでとりあえずその銀行の担当者と俺が直接話をしてみる、ということになった。
ところで、母は実はアベノミクス前の1ドル80円付近で200万円ほどドルを買っていた。だからアベノミクスが始まって急激に円安が進んでいるときに俺は母に電話をし、かなり儲けが出てるんじゃないか、と聞いたことがあった。そしたら母はちょうどアベノミクスが始まる直前くらいに銀行の担当者に、今はなかなか円安が進む気配がないからということで、そのドルを、担当者に勧められたある商品に買い替えてしまったので今はもうドルを持っていないとかなんか訳のわからないことを言っていた。

この説明を、金融と為替の知識がほぼ無いに等しい母が、同じく金融と為替の知識がほぼ無いに等しい俺にしたところで、俺が理解できるわけもなかろう。
かくして、その母からの電話を切るとすぐに俺はその銀行の担当者に電話をかけるのであった。

(つづく)





【2016/06/17 16:14】 | 日常
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「同窓会オフpart4」から実に1年半振りの更新となった。
この間、というかその同窓会オフがあった頃、つまりこの3年半でそれなりに色々あった。引越しをして環境も変わった。
3年半前といえばちょうど政権が民主党から自民党に変わり、アベノミクスが始まったころだ。
日経平均株価も1万円弱から高いところでは2倍の20000円以上になった。
同窓会オフに来ていた女のうち新たに3人が母親になった。
3年前の春に引越しをし、その頃自宅の前を通学していたブカブカの征服を着た新中学1年生は今はもう高校生だ。

よくこのブログでも書いてきたことだが、時間の経過が年々等加速度直線運動的に早くなる。
なにか楽しい時間はあっという間に過ぎるとかそういう感覚的なものではない。楽しかろうが悲しかろうが苦しかろうがつまらなかろうが、ちょっと恐いくらいに時間の経過が早い。

さてまずは俺の現状を簡単にお伝えしておきたい。とりあえず健康状態は良好だ。そしてその間、結婚もしていなければ彼女もいないしナンパもしていない。
この先、おそらくもう結婚はしないだろう。なにせもう40歳だ。初老。
この歳から結婚してお互い気を遣いながら子供を育てるとか体力的にも気力的にもまず無理。
親もぼちぼち70歳を越えて介護のことを考えなければならないこともあるだろう。
これから結婚して身体的金銭的不自由が子供が成人するまで、つまり60歳を越えるまで拘束されるなんてまっぴらごめんだ。
そもそも60歳まで生きられる保障もなければ、60歳までトラック運転手なんてやってられるかわからない。そうなれば家族にも多大な迷惑が掛かるというもの。

そうなってくると彼女を作るというのもなかなかリスキーな話になってくる。心理的負担も大きい。
ナンパももう非効率的。体目的であればもうデリヘルでよい。
今のデリヘルの女というのはもう昔の風俗嬢という感じではないところが多い。
デリヘル業者=斡旋業者に近い。
それと、トータルコストで考えればデリヘルの方が安い上、無駄な時間を費やす必要もないし、割り切った関係というのが年齢を重ねるごとに心地よくなってきた。
若い頃はそういったものになにか虚しさや一抹の寂しさを覚えるものだが、オッサンになってくるとその辺のことが後腐れなく金できっぱり清算できるのが便利だし都合がよい。

だからといってナンパを否定するつもりはない。ナンパによって得られるものも多いからだ。むしろ10代20代の若い時代は積極的にナンパした方がその後の人間形成において役立ちそうだ。
とはいえ、30代ではもうやらなくていいと思っている。やってもいいが、ナンパにあまり情熱を注ぐべきではない。慣れたナンパ師でない限り、けっこうな時間を費やすし、心理的負担も決して小さくはない。

30代は等加速度直線運動的時間経過の公式通り、10代20代以上にあっという間に過ぎ去る。
30代までに他にやっておくべきこと、知っておくべきことというのはたくさんある。
20代までにたくさんナンパをして、またやりたいことは一通りやっておかないと、オッサンになってからその屈折した欲求が噴き出てきて俺みたいに面倒なことになる。

俺自身今後はもう、ナンパをする気はない。
つまり俺のストナン生涯成績は0人ということだ。
このブログ自体は存続していく予定だが、また長期間空いてしまうこともあるかもしれない。
とりあえずこのブログでナンパ記事を書くことはほぼほぼ無いということだ。
同窓会オフからこの3年半のことについてはおいおい書いていきたい。








【2016/06/08 13:52】 | 日常
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通りすがり
共感できるところがあり面白いエントリーでした。


大麦若葉
いつも楽しく読ませてもらっています。

ところでガソリンスタンドの女はナンパでゲットではなかったのでしょうか?

あれからどうなりました?

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そうなってくると人間の脳とは不思議なもので、それはもう「典型的なオバちゃん」ではなく、A子としか見えなくなっていた。
彼女とは中学時代ほとんど接点もなく、ろくに声すら聞いたことがなかったのでどんな性格かというのはよくわからなかったが、俺が中学時代に想像していた性格よりだいぶおしゃべりで「陽」な人だった。
その俺の勝手な脳内ギャップも手伝って俺の脳はA子の認識を遅らせた。
しかしこのA子の件で俺の脳の倒錯感は頂点に達していた。
いやが上にも心が躍る。

もうこんなふうに会える機会などないかもしれないし、一言でもA子と話がしたいと思ったが、向こうのテーブルは4.5人で一杯になるような狭いテーブル席(イスではない)であり、またA子を含めそのテーブルの女4人とは当時もそれ以降もほとんどしゃべったことがないどころか俺のことを知ってるかどうかも怪しい感じなので、余計に入り込む隙がなかった。
「あれ、ごめん、誰だっけ?」とか真顔で言われるのもきつかろう。

そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎ去り、幹事がこの店の予約は9時までだからとか言い出した。
いやいやまだ全然話足りんだろ、と思っていたら誰かが「2次会やろう」と言ってくれたのでホッとした。

店を出て当然全体写真の1枚や2枚、スマホで各々が写メの1枚や2枚撮るものかと思っていたが、なぜか誰ひとりとしてシャッターを切るものはおらず、facebookでよくある飲み会画像の中で戯れるリア充な俺、みたいな図がタイムラインに流れるというほのかな期待は崩れ去った。

その後、半数近くはその場でお開きとなり、後の半数は2次会に参加する流れになった。
A子も2次会組について来ているようだった。

幹事は2次会をやるものとは思っていなかったのだろう、これから2次会の店を急遽探すことになった。
10人くらいいたと思うが、しかし30代も半ばでまさか中学の同級生だけでこうやって夜の街をザッザッと練り歩くとは当時も今も夢にも思っていなかった。
なにかこうやってみなで練り歩いているだけでも愉快な気分になってくる。

2次会の店が見つかり、個室に入って俺が入り口付近に座っていたらA子が入ってきたので俺が
「あれ、俺のこと知らないでしょ?」
と少しおどけた感じで言うとA子は
「? ○○君でしょ。」
と真顔で言ってきた。どうやら俺のことは知っているらしかった。

しかしまあ、その流れで俺の座っている近くに座ってくれればいいものを、向こうの方に座ってしまったので、2次会の席でもA子とじっくり話す機会はなかった。
とはいえ、当時の共通話題などでみなと一緒に盛り上がってしゃべるという形でその場を共有することはできた。

しかし楽しい宴というのは本当に時間の経過が早い。あっという間に0時近くになった。
もう終電がなくなるということでお開きとなった。
とはいえ、みな電車で来ており、駅の方向は同じなので駅までまた一団で歩いていると後ろからA子が
「あ、facebookのメール送っておくね」
と言ってきた。
なぜか複雑な気分になった。これが10年前とかでむこうも独り身であればまた違った感情になったのかもしれない。

そうこうしているうちに改札の前まできた。みな電車の時刻表の電光掲示板を見ていた。
そこでひとつちょっとした問題が起きた。まだ0時を回ってなく、みな電車があるのになぜか俺の終電はもうなくなっていた。
なぜかというのも変だが・・・しかし居酒屋を出るときにみな終電の時刻をチェックしていたときに、みなが終電は何時まであるから大丈夫みたいな話をしていたので、最も都会寄りに住んでいる俺は当然1時くらいまで終電があるだろうと思ってあえてチェックしなかったのだが、しかしよくよく考えてみると夜中に下りの終電より上りの終電の方が早く無くなるのが当たり前といえば当たり前である。

「あれ、俺終電もう無いわ(笑)」
なんて言ってるとA子が
「最寄り駅どこ?」
と言うので俺が○○駅だというと、
「私が帰る路線の方からは帰れないの?」
などと言うので、どの路線でどこまで行くのか聞いたら、それまで俺の頭の片隅にもなかったローカル私鉄であった。
とはいえ、方角的に、また直線距離的にもA子と俺の家とは案外離れているわけではなく、その私鉄からまた乗り換えることによって俺の最寄り駅まで帰ることも可能であったが、その線はすでに終電が終わっていた。

でもまあ終電がある駅まで行って、そこからタクシーで帰ってもさほど大した距離でもないのでそうすることにした。
というよりもはや終電があるかないかなんてどうでもよかった。むしろ終電がなくてありがたいと思った。

飲み会のターミナル駅の改札口の段階で方角の違いから2次会グループもすでに半々になっていたが、電車が駅を通過するにつれどんどん人が減り、最後このローカル私鉄に乗り換えるのは俺とA子だけになった。

もし恋愛の神様というものがいるとすれば、なかなか粋な、それでいてにくい計らいをするものだと思った。
中学時代声すら聞いたことがないほど接点を与えず、その後のボーナスステージ、いわばゲームクリア後の最後のエクストラステージみたいなところでこれか。本編ではなくスピンオフみたいなところで。

JRから私鉄への乗り換えはすぐだった。私鉄はすでに駅で待っている状態だったので乗り換えの時に話をする機会は無かった。
私鉄に乗り込んだ。俺にしてみれば初めての私鉄だった。
座席は終電に近いというのにほとんど客で埋まっていた。いや実際には空いている席もあったかもしれない。2人して座席の前に立った。
A子は俺より先に数駅で降りる。時間にして10分ほどだった。
俺に与えられたボーナスタイムは10分ということだ。
俺はあることを伝えねばならないと思った。しかもそれを今伝えないとおそらく一生後悔するだろう。
いやもうとっくに後悔したままここまで20数年経過してしまったわけだが、このボーナスステージ、エクストラステージにてさらに後悔を積み増すこともなかろう。

とはいえこの状態からどう話をもっていけばよいのか。今までろくに2人きりで話をしたこともない上に時間は10分ほどしかない。
あっという間に次の駅に到着する。
そうこうしているうちにA子がさっき飲み会のときに話題に出た男子同級生の話題を出してきた。
この男子同級生はA子と同じ部活動に所属しており、かつ3年次はA子と同じクラスであった。
この同級生の話題は好都合だった。なにせ俺は京都の修学旅行の帰りの新幹線の中で、この同級生にA子の写真を撮ってきてもらうように頼んだからだ。

「そういえば俺、修学旅行のときにあいつにAちゃんの写真を撮ってきてって頼んだんだよねー」
「えー?!二人(俺とA子)で撮ったの?!」
「いや、Aちゃんだけ・・・あ、二人で撮ればよかったか(笑)」
「えー!」
「だってAちゃんメチャメチャ可愛かったからねー。今もその写真まだ持ってるよ。てか覚えてないの?」
「えーー!早く言ってよー!あの頃に戻りたい!」

当時俺は、A子がこの一連の事実を知っているものだと思っていた。つまり俺という奴が自分の写真を欲しがっていてそれを男子同級生を通してあげた、という事実だ。
というのも、あのような自分の写真を撮らせる前にとりあえず誰から頼まれたのかということをその男子同級生に訊ねるのが普通だと思うからだ。
だから俺はその後、校内で数えるほどの彼女との偶然の遭遇のときには赤面したものだった。
それを本当に知らなかったというのか、それとも写真を二人で撮ったのかと聞いてくるくらいだからその頃のことはすっかり忘れてしまったのか。

そんな車内の束の間の一瞬の中で彼女が降りる駅名がアナウンスで無機質に流れた。
ふと前を見れば、真っ黒い窓ガラスには俺と、ケタケタと笑うA子の姿があった。
電車はあっという間に停車した。
「あ、もう降りなきゃ」
A子はそう言い残すと、とくに振り返るでもなく颯爽と駅の階段へと消えていった。


後日、実家に帰ったときにその写真を探してみた。
長らく見ていないが、確かにあるはずだ。
ほどなくしてそれは見つかった。中学の頃使っていたと思われる長財布の中に入っていた。
写真は新幹線のデッキと思われるドアの前で撮られていた。
多少セピア掛かってきていたその中で、しかしこちらに投げかけてくるその屈託の無い笑顔と眼差しはまったくもって色褪せていなかった。


<終>







【2016/06/06 19:48】 | 未分類
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なんとなく、映画「Love Letter」を思い出しました。 
soraya
青春時代に好きだった女の子と、時間を隔てて、再会するって、なんかいいですね〰。ナンパ復活にも期待してます(*^。^*)

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