2018/08/15

この夏の俺

あーうざいわ、
FC2ごときがちょくちょく定期的にパスワード変更とか求めるなよ、糞が。

さて盆だしちょっと時間できたのでちょっとだけ書こうかなと。

なんつーかあれだ、前々からこのブログで常々言っていることだが、凄いよ、時間の経過速度と老化速度。
もうわかったよ。つかとっくに知ってる。20代後半あたりからよ~く知ってるし十分に実感もしてきてる。
ネットでも調べまくった。時間の経過速度は決して気のせいではないということを、だ。
そんなことはもう、20代後半から身をもってわかっていたことなのだ。

おまえのその1年、オッサンのその1年、40何年分の1とかいうその1年、
年齢の分母が大きいということはどういうことなのか。

それは数字のまんまで、その1年というのは分母が大きければ大きいほど、微々たるものになってゆく。
逆に分母が小さければ小さいほど、その人の人生においてその1年の存在感は大きい。
これはなんとなくわかるだろう。わからない人はネットで調べてくれ。もうそんなことまでいちいちここで解説しない。
解説してる暇などオッサンにはない。

つまり、分母が小さい人より大きい人の方が、たとえその1年どんなに波乱万丈であったとしても、40代のオッサンと10代の若者と比較すれば、感覚として時間の流れは10代の方がゆっくりだ。
感覚で時間が早いというのはそれつまり、やはり時間そのものが早く流れていることと同義だ。

あともうひとつの理論として、帰り道理論というのがある。
つまり、旅行でもなんでも、初めて行く時より同じ道程を帰る時の方が早く感じるということだ。
言い換えると、経験したことを繰り返すと時間が早く感じるということにもなろう。


この2つの理論を知っていようが知っていまいが、この2つの理論の作用は強烈で、どうあがこうが年々この作用が弱まることはない。

ゲーム等、非生産的なことを極力減らし、なるべく自炊し、時間が早く経過して欲しいような作業、たとえば筋トレのようなものを日々取り入れても、この作用が弱まる気配はない。

外見的老化も激しさを増す。
40歳過ぎるとそれは半端ない。
想像以上だ。
体のところどころに「老」の文字が浮かび上がってくるようだ。
ジジイリスクがすぐそこまできていることは想像に難くない。


最近車を買った。10年以上振りだ。
久々にみ〇カラを更新した。ブログやパーツレビューを投稿した。
見知らぬ人からそこそこ「いいね!」された。でもコメントをする者はなかった。

いいね!してくれた人はどんな人でどんな車に乗ってるか、ちょっとのぞいてみた。
当然俺と同じ車に乗ってる人が多いわけだが、プロフィールなんかを見ていると

誕生日 1997年

て人がいた。


2000年代前半の超氷河期期、俺もその中にあって都内の企業に契約社員として2年間通った。
普通にブラックで、休みもろくに取れず手取りで20万いけばいいほう。
ボロ雑巾のようになり、退職。

2000年代中頃、1年間くらいニートをしながら大型免許等取得した時期があったが(今思えば結構楽しい期間だった)、教習所から自宅に帰ってくるとだいたい夕方で、この頃は今と違ってまだけっこうテレビを観ていた頃であり、なんとなくNHK教育あたりからダラダラ観ていた。

大人になってから見るNHK教育ってのもなんか新鮮であり、2chの実況しながらよく観ていたのだが、その中で「いないいないばあっ!」っていう幼児向け番組があり、犬の着ぐるみとお姉さん(といっても10歳前後の女の子)、と、3歳くらいまでの幼児が踊ったりなんやかややる番組なのだが、30歳間近の俺がニートでなんの生産性もない毎日を送ってるのに、この子(お姉さん)はまだ小学生なのに毎日テレビに出演して立派にNHKの仕事こなしてて凄え、俺糞だな、とか鬱になりながらも子供心に還れるような回顧心みたいなものも相まって観ていた。

で、最近その子の今みたいなのを偶然ネットで見つけたのだが、もう大学生になっていて、当時から整ったかわいい顔をしていたが、順当に美人になっており、しかも慶大生になっていた。あまりにも順当で、しかも俺の感覚としては、あの番組の頃なんてつい最近という感覚だが、彼女からしたらもう、遠い昔の、幼き頃の思い出ということなのだろう。

しかしまあ、彼女がその番組を終えて、あとは多少CM等タレント業をしていたみたいだが、その後中学、高校、慶応に入り、色々経験していた中で、俺はと言えば同じような場所をトラック運転してたのと株で大損ぶっこいた経験だけ。


それと最近よく思うのが、病院にしろ歯医者にしろ、出てくる医者のだいたいが明らかに年下。
なんかもう大学生くらいに見える奴もいるし。
で、明らかに若いともうそれだけでなんか信用できない自分がいる。大丈夫かこいつ、みたいな。


まとめると、時間の経過速度と老化速度に待ったなし。その早さ、ムーアの法則に匹敵(個人差あり)。
40歳を越えたらジジイリスクはもうすぐそこにありき(60歳は今は若い?では中年か?否、もう中年ではないよ。肉体的には今も昔も。40歳なら60歳まであと20年ある?20年の期間てどんな感覚?浜崎、宇多田の全盛が約20年前。小室はもっと前。そんな感覚)。
あと俺きめえ。いい歳こいて幼児番組とか観てんなよ、糞が、きめえな。
でもまあ当時まだ20代だったし、オッサンじゃなかったし、ニートだったし、許せ。
今はもちろん観ていない、てかテレビ自体ねえし、つまらんから欲しいとも思わん。
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2018/06/05

最近の俺

また4か月も放置してしまった。
つかもうブログにエネルギーと時間を注ごうという気持ちがほとんどない。老いによる創作意欲低減とかそもそもオッサンになると色々な欲求が減退してくるし、そもそもこんなしょーもない気持ち悪いオッサンのブログの需要もないだろう誰が見てんだこんなのとか、そろそろ俺もジジイになるまでそうあまり時間も残ってないので、これまでの人生でやり残したことを色々やらなくてはいけなかったり、糞の役にも立たない時間の無駄でしかないこんなもんを書いてる暇などないのだ。

たいていはそういう理由で多くの人がブログをやめていくわけだが、俺は細々とはいえけっこうもった方だろう。
だがそろそろマジでブログを書くことに興味がなくなった。
ちなみに去年から今年にかけて書こうとしていたネタとしては
・2017年6月に単独で山梨県にある金峰山に登った
・2017年7月に単独で富士山に登った(ちゃんと山頂まで行ってきた)
・2017年10月に母親との2人パーティで箱根の金時山に登った
・2017年10月に再び単独で丹沢の塔の岳に登り、遭難しかけた(というかプチ遭難した)
・2018年5月に母親との2人パーティで山梨県にある大菩薩嶺に登った
・2018年5月にDDJ-1000を購入した

まあほとんど登山関係だがこんなところだ。
富士山登山や丹沢遭難の話とかけっこう面白く書けそうだなと思ったが、前述による意欲低減と、山登りやら筋トレやら読書やら音楽聴いたりDJの練習をしたりと忙しいので、書けそうにない。まあ書いたところで需要はないだろう。
それと、とにかくまあamazonのAIオススメシステムにより、積読本がだいぶ溜まってしまっている。動画配信サービスで観たいもんも色々あるし、とにかく時間が足りない。
女の尻を追いかけてる暇すらない。

そんなわけでまあ、ブログは閉鎖はしないけれども(なにかの拍子で自然消滅してるかもしれんが)、まあ気が向いたらこんな感じでまた簡単に書いていこうと思う。



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2018/02/16

ドラクエ3発売30周年

ゆうしゃ こと゛くは めをさました!

なんと! 30ねんが けいかしていた!


ファミコン版ドラクエ3が発売されてからこの2月10日で30年となった。
当時まだチンポに毛も生えていないような小学生だったので、つい先日のよう、という感じではさすがにないが、とはいえ、30年という月日はこんなもんなんだな、わけないな、30年なんて。という感じだ。

というのも、たとえばその30年前の当時アラフォーだった俺の母親がよく口にしていたことで、
「お母さんが子供の頃はまだ蒸気機関車が普通に走っていた」
だの
「お母さんが子供の頃はラーメン1杯30円くらいだった」
だの
「1円はお札だった」
だの
「給食には脱脂粉乳がでた」
だの、母親の子供の頃の時代というのは30年前の当時から考えてもおよそ検討もつかないほど異文化、異文明だったため、30年という年月はそれほどまでも気が遠くなるような月日であり、文化、文明、モノの価値を変えてしまうものなのだな、と子供心に思ったものだが、しかし、母親が子供の頃からの30年後の世界とは異なり、俺の子供の頃からの30年後である現在は、母親の30年間ほどの変化はない。

というか、インターネットと携帯電話、スマホの普及を除けば、文化、文明的な基本的な部分において、大して変わっていない。
物価などは、母親の30年間ではおよそ10倍くらいに上がっているが、俺の30年間などほとんど変わっていない。

当時は消費税がなかったので、消費税分は高くなってはいるが、牛丼などは当時1杯350円から現在は380円、つい最近まではデフレの影響もあって200円台の時期も長かったりしてむしろ安かったし、マクドナルドのハンバーガーなども当時210円だったのもが現在は100円、ラーメンなども当時でも1杯400~500円はしていたと思うが、現在でもトッピングを頼まなければ600円台で食べられる。

参考文献
1958年
大卒初任給(公務員)9.600円 高卒初任給(公務員)6.500円
牛乳:14円 かけそば:32円 ラーメン:45円 喫茶店(コーヒー):50円
銭湯:16円 週刊誌:30円 新聞購読料:330円 映画館:140円

大卒初任給の推移
1988年で15万円くらい

さらに街並みや家の造り、自動車交通や電車も含めたインフラ事情なんかは、デザインの新旧はあれど基本的には変わっていないわけだし、1988年後半からではあるが、木曜夜9時に8チャンに回せば、今と同様にとんねるずの二人が悪ふざけをしていたわけである。

なので、外部的な要因からしても、あれから30年が経過したという実感が湧きにくい。
まあ己は外見的には子供からしっかりオッサンになっているのであるが、脳内的にはそこまで経過した感はないのだ。
だからあの時あの頃のことはよく覚えている。


俺はドラクエは1からプレイしているが、当時ファミコンではまだRPGなんてなかったから、ドラクエ1発売当時はまったく興味が無かった。
ドラクエ1の発売日は1986年(昭和61年)5月27日であるが、アーケード板の「魔界村」が大好きだった俺は、この5月下旬にファミコンで魔界村が発売されるということでとてつもなく楽しみにしていた。
しかし直前になって、カプコン側の粋な計らいかそれともただ単に製造が追いつかなかったのかわからないが、発売が翌月の13日の金曜日に延期になってしまう(ちなみにハドソンのスターソルジャーと同時発売)。

そんな中、クラスにスネ夫みたいな(とくに金持ちでもなかったが)嫌味な奴がいて、そいつも魔界村を買う予定だったみたいだが、「俺待ちきれねーからドラゴンクエスト買っちった、でもおもしれーよ!」
とか言ってきたので、そんな2週間ちょっとも待てねーのか、そんなわけのわからんクソゲー買っちまって馬鹿だな、と俺は内心思っていた。

だがその後、クラスの秀才君(のちに有名国立大卒)もドラクエを買ったといい、急にスネ夫と秀才君が仲良くなりだして学校でよくドラクエの話をしていた。
俺はその後、予定通り魔界村を買ったが、あまりにもアーケード板と違う糞移植っぷりに落胆し、糞移植のせいで難易度まで上がり、あれほど期待してたのにクソゲー化しやがってと思ったが、悔しいので根性で全クリした。

まあそれはいいとして、後に誰からか忘れたが、俺はドラクエのカセットを借りることができた。
今までのゲームと違って最初はまったく意味がわからず、レベル4か5くらいになってもあまり面白いとは思えず、そのうち友達に返してと言われてそのまま返した記憶がある。

しかし後日、別の友達からまた借りて、なんだかんだで1か月くらい掛かってクリアした覚えがある。復活の呪文形式は糞面倒なのだけれども、ドラクエ3や4、スーパーファミコンのカセットみたいなバッテリーバックアップではないので、別の友達から借りてもそのまま続けられるのは、今考えるとそう簡単にソフトを買ってもらえない子供にとってはありがたい点でもあった。

ドラクエ1というのは、当時まだ10歳ってこともあったが、なんか少し怖かった。「しりょうのきし」とか「あくまのよろい」とかなんか怖かった。それから音楽も怖かった。とくに竜王の城。1階1階降りるごとにこれでもかってくらいBGMがスローになってゆく、いちいち狭くなる視野、ここは竜王の城だと言わんばかりに何匹も出てくるドラゴン・・・

それで竜王倒したらまるで映画のようなエンディングとBGM。
これまでにない興奮と感動を覚えたものだ。

そしてその興奮が覚めやらぬ翌年の1987年1月26日にドラクエ2が発売された。
俺は喉から手が出るほど欲しかったが、とにかくどこも売り切れ。予約したとしても1か月後とか2か月後とかそんな感じだった。
そもそも俺は北関東の田舎町に住んでいたから、ファミコンのカセットを売っている店舗数などたかが知れていた。
駅前の2,3店舗と、郊外のスーパーで1階が食料品売り場で2階が今でいう「しまむら」の店舗をさらに半分くらいにした売り場と、ちょっとした本売り場、おもちゃ売り場が一緒になったようなところくらいしかなかった。
ゲーム売り場がなんかガラスケースの中に商品が並べられているような昭和の感じのアレ。

それで俺はドラクエ2をなかなか買えなかったわけだが、発売後から1か月後くらいにクラスのある友達がゲットしたというのでどこで買ったのかと問い詰めたら、母ちゃんが買ってきた、よかったら母ちゃんに頼んでやろうか?というのでぜひ頼むってことで頼んでおいたら、その後2,3日で「母ちゃんドラクエ2買ってきたよ」と言われたので驚いた。
その日にその友人の家に行ってその友達の母ちゃんから直接あの真っ青な箱を手渡されたのだが、まあ嬉しかった。

で、問題のドラクエ3である。
まず、当時ドラクエ3に関しては、前作のドラクエ2があまりに売れたため、ドラクエ3も当日何本入荷するかわからないといった問題や、予約したはいいけれど、子供のことなので別の店で買ったからとか、友達に借りたからといった理由で発注したはいいけれど大量のキャンセルが出てしまう恐れがあるとか、そういったパニックを起こさないためにか、俺のテリトリーにあるショッピングセンターやおもちゃ屋ではドラクエ3の予約はやっていなかったように思う。やっていたとしても即終了していたように思う。

なので、俺はまた前作同様、発売しても1か月とか2か月とか指を咥えて待ってなきゃならんのかと思ったが、ある日学校の教室で突然スネ夫が
「俺、ドラクエ3発売日に買えるぜ。兄貴の友達に買ってきてもらえるんだぜ。いいだろ?ヘヘッ」
と、わけのわからないことを言いだし、嫌味ったらしく自慢してきた。

つまりこういうことだ。
前述の予約の件に絡んでくることだが、予約を中止した分、全て当日発売となるため、買うためには当日店に並ぶ必要がある。しかし2月10日は平日であるため、学生は買いにいけない。こういういきさつがあったため、小学生や中学生が学校を休んで並んで補導されたり、またソフトを買った小中学生を恐喝して引ったくったりという社会的問題が全国のあちこちで起こり、そしてこういった問題はここから始まった。

それで、スネ夫の兄貴というのは確か高1だったと思うが、その友達というのはおそらく高校に行ってなかったのかもしれん、なんか恐い人かもしれんのでそれ以上詳しいことを聞かなかったのだが、それで駅前のショッピングセンターに朝開店と同時に行って買ってきてもらえるというのだ。
さらにその後スネ夫が
「あと誰か買ってきてほしい人ー?ひとりだけー!」
とか言いやがったので、後にも先にもまったくもって仲が良かったわけでもなんでもない俺とスネ夫だが、俺はこの時ダメ元で、でも反射的に「ハイハイハイハイッ!」と手を挙げたら
「じゃあ〇〇(俺の名前)ね。あとは駄目」
と言って、なぜか俺の分だけ買ってきてくれることになった。

そしていよいよ2月10日。朝のニュースでもドラクエ3のことが取り上げられていたことを覚えている。すでに店の前に行列になっている画像も映し出されたりしていた。テレビでドラクエ3のCMもやっていた。

俺は子供心にもかなり半信半疑だった。子供ってのは案外平気で嘘をつく。嘘の約束をする。残酷な嘘。残酷な約束。しかも高校にいっていないだろう兄貴の友達とやらが買ってくるというのがまた胡散臭い。さらにひとりがドラクエ3を一度にいくつも買えるものなのか?その本人の分だって買うのだろう?こんなにテレビのニュースまでもが取り上げているのに、そんなことが可能なのか?
しかし数日前、すでに俺は5,900円をスネ夫に手渡していた。5,900円というのは小学5年生からしてみれば相当な大金である。

とはいえ当日は学校にいてもドラクエ3のことしか頭にない。すでにパーティの4人の名前は決めてある。それぞれの職業も決まっている。
授業の内容などまるで耳に入ってこない。とにかく時間が過ぎるのが遅い。

ようやく午後の授業が終わった。
「よし、〇〇、行くぞ!」
とスネ夫が言った。
その時のスネ夫の目はいつもの嫌味な目ではなく、真剣な目つきであった。
未だ半信半疑の気持ちは拭いきれない俺であったが、これはもしかしたら本当にドラクエ3がすでに彼の家にあるかもしれない、と思った。
しかし、彼の分はあっても俺の分はない可能性もある・・・。

その後学校を出てから彼とどんな会話をしたかわからない、もしかしたらお互いずっと無言で走っていたのかもしれない、でも夢中だったに違いない。そうやって彼の家に到着すると、
「ちょっと待ってて!」
と言って彼が自宅に入り、間もなくして出てくると
「ほらっ!」
といって深紅の箱を突き出してきた。

「じゃ、俺これからはじめっからよ!じゃあな!」
と言い、そそくさと家の中へ入ってしまった。

俺は半信半疑だったために、そして夢にまで見たドラクエ3を(当初は1987年12月発売だったものが延期されたためなおさら)、そしてニュースでやっていたみたいにあんな行列に並ばないと買えないようなドラクエ3を発売日にいとも簡単に、なんの苦労もなく、しかもこんな地方の片田舎で小学生の糞ガキの俺が今こうやって手にしていることが不思議でならなかった。衝撃だった。

俺はあの時スネ夫にちゃんと「ありがとう」と言えたのだろうか、まったく覚えていない。
その後ドラクエ3に関してスネ夫と話をした記憶もないし、遊んだ記憶も他の友達も交えて1回しかないが、あの時なぜとくに仲が良かったわけでもない俺の分のドラクエ3を買ってきてくれたのか、いまだに謎ではある。でも後日天空の城ラピュタのビデオも貸してくれたんだった。テレビの録画したやつだけど。案外いいヤツだったのかもしれない。

しかし嫌味といえば俺も嫌味な奴だった。ドラクエ3をゲットした俺は有頂天になり、走って帰宅するわけだが、帰宅途中にある同級生の家の前で約束もしてないのにわざわざインターフォンを押し、家のドアを開けて出てきた友達に無言でドラクエ3を水戸黄門の印籠のように突き出し、気持ち悪いほどニヤけて見せるのであった。

そうやって自慢し、あとは家に帰ってじっくりプレイするつもりであったがその友人が
「すげえ!俺もこれからおまえんちに行くぞ!」
とか言い出し、ドラクエなど友達と一緒にプレイするものでもないので、厄介なことになったな、と思った。

まあわざわざ自慢するためにノーアポでインターフォンを押した俺も悪いので、渋々自宅に連れてきたが、この時ほど、自宅に連れてきた友達に早く帰れと思ったことはない。

ところで、学校のクラスで発売日当日にドラクエ3をゲットできたのは、スネ夫と俺以外にいなかったと記憶しているが、しかし発売から2週間過ぎたあたりから徐々に市場に出回りはじめ、だがそれでも並ばなければ買えないという状況にあった。
その頃クラスの友人何人かが、ある日市内にあったハローマックという全国チェーンのおもちゃ屋にドラクエ3が入荷するという情報を得て、その日の夜中から並び、厳しい寒さはカップラーメンを食べたりしてしのぎ、ようやくドラクエ3をゲットしたという話を、その翌日だか翌々日だかに教室で話しているのを見聞きした。

俺は当時すでにドラクエ3をゲットして2週間経っているだけでなく、すでにイシスのピラミッドを攻略してゲームも中盤になっていたので、そんないまさら夜中から並んでゲットしただのというのは正直高みの見物といった感じだったのだが、しかしそんな中にもなにか得体のしれない羨ましさみたいなものを少し感じていた。

そして今にして思えば、やはりそれは彼らは相当貴重な体験をすることができたんだと思う。
まず夜中に外に出歩くというだけで子供にとっては未知の世界であり、さらにゲームソフトのために同じ目的を持った者達と一緒に冬の真夜中に並ぶなど、当時としては今並んでいる人々のほとんどがみな初体験であり、そこで食べるカップラーメンたるやどれほど特別で美味かったことだろう。
そして暗がりで一緒に並んでいる中に友達の顔があったりするのだ。

その後弱々しく夜が明け、待ちに待ったハローマックのシャッターがゆっくりと開き、そしてようやく自分の手に深紅の箱が手渡された時の感動たるや・・・!このストーリー、このロケーション、俺の感動の何倍だっただろう、ドラクエ3をゲットするまでですでにリアルで俺が端折ってしまった貴重なクエストをひとつ完了したのだ。

だからその日のことについては彼らは俺以上に今でも忘れられない思い出となっていることだろう。
その体験、今となっては俺もしておきたかった体験のひとつだが、しかし俺にとって2月10日という日もやっぱり一生忘れられない日付となっている。

小学校時代、こんなに日付とその日に起きた出来事をはっきり覚えている日はほかにない。
それくらい1988年2月10日という日は衝撃的な日であり、今からちょうど30年前の日本というのは、全国各地で、主に子供や10代を中心にドラクエ3を巡る様々なドラマが展開されていたのである。



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2018/02/09

神保町

話が前回の「塔ノ岳は二度死ぬ」の続きとなるので、約半年前の話となって申し訳ないのだが、しばらくはこの半年間の出来事を中心に書いていきたい。

前回の塔ノ岳登山の後、1週間ほど足の筋肉痛が続き、登山はもういいやと思ったものの、足の筋肉痛が和らぐにつれ、山の魅力に少しずつ取りつかれている自分がいた。

それになにか悔しかった。運よく怪我も無く下山できたものの、あれはおまえが右も左もわからない初心者だからってことでお情けで無傷で下山させてやった、そんな感じだった。

また、別の山を登山してみたい、とも思った。しかし今度は万全の準備をもって臨みたいと思った。
そしてできるだけはやいうちに登りたいと思った。というのも、前回5月でタオル1本ビチャビチャになるほど汗を掻いたから、本格的な夏が来るまえに一度登っておきたいと思った。

しかし兎にも角にも、ザックからシューズから服からなにから、登山グッズをほぼいちから揃えねばならない。
前回の登山から流用できるものといったら帽子くらいしかない。なので、まずは登山のマストアイテムであるトレッキングシューズとザックを選ぶことから始めた。

とにかくもう、この時点ではこういった登山グッズの知識は皆無であったから、ネットで調べたり、登山グッズの本を購入してそれを参考にしたりした。
そしてある程度目星がついたら店に行くわけだが、とりあえずショッピングモールなんかにあるスポーツデポ的なところに行ったりはしたが、登山グッズはあるにはあるのだが、いまいち種類が少ないような気がした。

特に俺の足は28.0~29.0cmとかあるので、サイズが28.0cm以上ないモデルはまず除外され、またトレッキングシューズとなると28.0cmでもピッタリ過ぎるというか、トレッキングシューズは1cmくらい余裕があってもいいくらいなので、28.0cmでは駄目なのである。
なんとも厄介な、足がデカくて良いことはまずひとつもない。俺の長年の悩みのひとつである。
結局、今回もトレイルランニングシューズを買った神保町のお店にお世話になることにした。

前回トレイルランニングシューズを神保町に買いに行ったときは神保町についてはとくに触れなかったが、実は神保町に行ったのはあれが人生初であった。
俺は、若い頃は都内だと渋谷、新宿、池袋、上野、秋葉原などにはしばしば出没し、それらはそこそこ土地勘もあるのだが、神保町はまず行ったことも、行くような用事もなかった。

これまでの俺の神保町のぼんやりとしたイメージとしては、街並み的には秋葉原の延長線上的な、なにか雑然としてどこか湿っぽい、それでいて古書店が並ぶ、地味、紙カビ臭い、そんなイメージだった。言ってみれば、まだアニメやゲームだらけになる前の、ひと昔かふた昔前の秋葉原の、電気店やPCパーツ店の代わりに古書店が入ったような街、そんな感じをイメージしていた。
だが、実際に行ってみるとだいぶイメージしていたのとは違っていてもっと洗練されていた。
なんか古書店というと雑然としたイメージであるが、神保町の街並み自体は雑然というよりむしろ整然としていた。

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古書店がまとまって点在しているというよりも、古書店の他に飲食店やスポーツ用品店がブレンドされて点在しているので、秋葉原の「ザ・電気街」のように「ザ・古書店街」という様相ではない。
だからといって池袋や新宿、渋谷の繁華街のように猥雑さはなく、雰囲気としては大手町が近いこともあってか繁華街というよりもオフィス街に近い。

また周辺環境も大手町や皇居、九段下に近く、店が多く軒を連ねている街にもかかわらず、町全体としては静かで落ち着いた雰囲気を持っている。

俺はまずはシューズを買おうと思い、スマホで調べた神保町のトレッキングシューズ専門店を何店舗かピックアップし、とりあえずその近くまで車を走らせた。
近くにいけばコインパーキングかタワーパーキングがすぐ見つかるだろうと思ったが、案外無く、コインパーキングはあっても4台しか置けないとか、しかも満車とかそんなのばっかりでグルグル回っていたが結局めぼしい場所がなく、しょうがないので人生で初めて路上パーキングなるものを使ってみた。

路上パーキングというのは都心や繁華街なんかでよく見かける、道路に枠が書いてあって、その歩道側にメーターのようなものが立っていて、なんかそこに駐車料金だかを入れるようになっているようなアレである。
俺は今までアレを利用したことがなく、仕組みもよくわからなかったが、とりあえずあの枠に車を停車させて、そのメーターに書いてある説明書きをまじまじと読んだ。

で、あれの仕組みだが、前金で300円とか支払うとメーターにカウントダウンの分数が表示され、60分までなら駐車違反の対象にならないらしい。しかし60分過ぎたらその前金の効果は無くなり、あとは切符切られてもシラネってことらしい。
まあとにかくほかに停めるところがないので、共立女子大学の近くにあるこの路上パーキングに駐車してトレッキングシューズ専門店へと向かった。

このトレッキングシューズ専門店は親切で、自分は初心者ということと、だいたいどのくらいの山に登るのかってことを伝えれば、後は自分の足を測ってくれた上で最適なシューズをいくつか持ってきてくれる。それを、貸してくれる登山用ソックスを履いた上で履き、あとは店内にある山道を模したデコボコした坂道を上がったり下りたりして試し履きをすることができる。と同時に店員のアドバイスもあるので、あまり迷うこともなく購入に漕ぎつくことができる。初心者には本当にありがたい。

ここでシューズを買った後、別の店舗でザックとストック、登山用のパンツと半袖シャツとウインドブレーカーやらタオルなど、一通り揃えた。
で、事前情報として、登山は意外と金が掛かる、スキーやスノボーなんかより全然掛かる、昔は金持ちの道楽だったなどといった情報を散々目にしていたので覚悟はしていたのだが、まあ10万コースだった。
まあザックとシューズだけでまず5万くらいいくし、ウェア類がいちいち高い。半袖シャツでも1万円弱くらいだったかな。あとは1万円以内で買えるものなどない。まあそれだけ機能面でよくできているのだけれどもね。

でもなんか山グッズの買い物って楽しい。俺は買い物自体面倒なのであまり好きではなく、とくに衣類の買い物は試着したり店員と会話したりするのが面倒なので正直嫌いなのだが、山グッズってのは通気性やら機動性など機能面をあれこれ考えながら選ぶことになるので、そこがなにか、パソコンや車のパーツを選ぶときに似ていて楽しい(ちなみに俺はPC自作派)。
あと、衣類のショップ店員のように呼んでもないのにすぐ話し掛けてきてあれこれ営業してくることもないのがよい。

ということであれこれ選んで買っているうちに1時間なんてとっくに過ぎており、あわてて路上パーキングに戻ったらもう1時間半以上も路駐していたが、でも路駐禁止の紙が貼られていなかったのでセーフ。
まあ1時間で買い物ってやっぱ無理だな。やはりここは電車で来るべきだ。


そしてその後も何回か電車で神保町に来ている。登山グッズはもちろんなんでも揃っているが、登山関係の書籍もマニアックなものまであれこれ揃っていてよい。
この静かで落ち着いた雰囲気といい、神保町がすっかり気に入ってしまった。

それから、神保町といえば、カレーやうどん、天丼などグルメの街としての顔をもつことでも知られているが、俺はこれまで店名は出さないが、行列ができるうどん屋1店、美味いカレー屋ランキングで上位にいるカレー店1店、俺が好きな作家である久住昌之氏(孤独のグルメや食の軍師の原作者)のエッセイでも紹介されていた天丼屋1店で、それぞれオススメと思われるメニューを食したが、正直味は普通であった。
値段は高くはないのだが(カレーは1,500円くらいして高い)、評判ほどではないというか、まあ並ぶほどではないかな、という感じだった。

というか、神保町というのは周辺に大学がいくつかあり、おまけに大手町などオフィス街が近く、また古書店街、スポーツ店街でもあって集客効果が高いので、昼になるとどこにでもあるようなチェーン店でさえも行列ができている。まあオフィス街なんかだと割とよくある光景ではあるが。
なので、神保町に限っていえば、行列ができている店だからといってあまりあてにはならない。

これからも神保町にはたびたび行くことになると思うが、美味い店を探すのがひとつの課題となりそうだ。



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2018/02/06

塔ノ岳は二度死ぬ(下山編)

とにかく体を温めなくてはならないと、疲れも忘れて早足で塔ノ岳を下っていった。
そしてその荒くなった呼吸を利用して両手を懸命に温めるが、指の白さは元に戻るどころかますます真っ白になっていった。
白いだけじゃない、感覚がほぼ無いのだ。これで鎖場の鎖を掴むのはまず不可能だと思った。

なぜこんなことになっているのか詳しい理由はわかりかねるが、考えられるとしたら急激な体温変化によって末梢血管にまで正常に血液が回っていないとか、そういう体温と血液に関する原因のような気がする。
とにかく塔ノ岳山頂までは、その険しく長い道程により汗がダラダラ出るほど体が温まっていたが、それが山頂で体を動かすのを止め、しかも山頂で気温が下がり風も強かったことから、急激に体温が下げられたことにより、このような症状が出ているのかもしれなかった。

ちなみに気温というのは100m上昇するごとに0.6℃下がるらしいので、塔ノ岳山頂は約1,500mあるから下界からだと9度低いことになる。5月でも最低気温は10℃を下回るということなので、この日もこの異常な寒気からすると山頂は10度以下だったのかもしれない。
http://www.yamaquest.com/detail/tonotake-1491/59.html

そこにきて俺は山に対してなんの知識もなく舐め腐った態度で臨み、普段着同様の服装でたいした装備もせず闇雲に頂上まで登り、登ったら登ったで汗掻きっぱなしのシャツ濡れっぱなしでろくに防寒具も持ち合わせてなく、頂上の温度変化に対してなんの対策もしていなかったのだから、体になんらかの異変が起きても不思議ではないだろう。

そしてそうこうしているうちにどんどん鎖場の崖が近づいてきてしまう。このまま両手の指が回復しなかったらあの崖は鎖を掴むことなくして絶対に登れない。崖を目前にして「詰む」。
こんな、まだ周りに自分より年上の中高年が普通に行き交っているような場所で、しかも向こうから俺を見ても緊急性を感じない、普通の(服装が多少アレだが)健常な登山者、気に留めるまでもない登山者に見えているであろうに、そんな俺が突然ここで「詰む」。

いや、絶体絶命というわけではない。まだ周りには人がいる。助けを求めればおそらくなんとかなる。それに塔ノ岳山頂には宿泊もできる尊仏山荘という有人の山小屋があるのだから、そのまま引き返せばこのまま突き進んで遭難ということは回避できるはずだ。
しかし、こんなこれまでに体験したことのない突然の症状と、自分の置かれているその状況に狼狽しまくっている俺はそんなことを考える余裕もなく、このまま崖に行けば詰む、このことだけが頭を支配した。

そうやって狼狽しながらもとにかく体が寒いので足早に塔ノ岳を下って行ったが、途中から歩を進めるにつれ、さきほどよりも体温が上昇しているのが感じられた。それは塔ノ岳山頂にいた時よりも運動量が上がっているということと、下山による高度低下により外界の気温も上昇しているからだろうと思った。また頂上のような強い風もなくなっていた。

ふと両手を見ると、その指先は赤みを帯びてきていた。指を動かしてみると、だいぶ感覚が戻ってきていた。
(よし!これで助かる!)
年甲斐もなく思わずガッツポーズをしてしまった。コブシを入れて「ヨシッ!」とか言ってしまった。
(・・・俺の勝ちだ・・・!)と思った。

新大日まで来ると薄っすら汗を掻くほどまでに体は温まっていた。ここで冬用のYシャツを脱いだ。
ベンチで座って一息ついていると、中年の女性二人がフゥーフゥー言いながら登ってきて
「ここからまだけっこうあるんですか?」
などと聞いてきたので
「いやぁ、もうひとピークといったところですね。頂上、風が吹いてて寒いですよ」
などとちょっと得意げに受け答えしている自分がそこにいた。

新大日を過ぎると鎖もところどころにあるような急斜面が連続する砂利場があるのだが、ここが案外難儀した。
塔ノ岳山頂からここに来るまでは両手のことで頭が一杯になり、足の疲労のことは忘れていたが、もうすでにかれこれ6時間とか7時間も山道と格闘しており、膝が笑っている状態にあった。それでもって急斜面の砂利場というのは、足が滑らないようにつま先やら踵やらふくらはぎやらに常に力を入れて歩かねばならないので、すでに体力と足の筋力が限界に近い俺にとってはかなり堪えた。
この時ばかりはさすがにストックがあった方が楽だな、と思った。



この時点で後ろから来た人もどんどん俺を追い抜いていき、後ろから人がくる気配はもうなくなっていた。
どうやらこの表尾根コースで塔ノ岳からヤビツ峠に向かうのは俺が最後尾らしい。
そもそも塔ノ岳からヤビツ峠に向かう人というのはあまりいない。多くの人がバスで来るので、バスでヤビツ峠まで来て、ヤビツ峠から塔ノ岳に行ったら、そこから折り返しピストンはせず、通称バカ尾根と呼ばれる大倉尾根を下っていって大倉バス停で帰るというのが一般的である。
その逆というのはあまりないらしい。なぜならヤビツ峠に来るバスの本数が極端に少ないからだ。
しかしヤビツ峠にマイカーで来た場合、ピストン一択となり、あの崖を登らなくてはならない。

さて、いよいよ崖に来た。もうすでに体力的にも足筋肉的にも限界を越えていたと思う。でも登らねばならない。
これも想像以上にキツかった。足の踏ん張りが利かなくなっていたからほとんど腕の力に頼って登った。1,2歩登るごとにいちいち休憩を挟まねばならなかった。
手の指の麻痺が治っていなかったら間違いなく登れなかった。

そんなこんなでフラフラになりながらもなんとか3つの壁を登り切り、ようやくどこかのピークに着いた。ガスってて真っ白だったので、ここはどこのピークだったっけなと思っていたら突如、白い霧の中からあの特徴的な三角屋根がヌっと不気味に現れたので驚いた。そしてやはり誰もいなかった。
三ノ塔も相変わらず景色は真っ白ではあったが、この頃には景色はもうどうでもよくなっていた。というか、疲れによる山酔いというか、もう山の景色、木々の連なる様を見るのが嫌になってきていた。辺り一面同じような木々でびっしり埋められている景色を常に見させられるというのも慣れていないせいかなにか酔った気分にさせられる。だからこの頃にはなるべく景色は見ないようにしていた。

そして三ノ塔といえば分岐点があるはずだった。今朝間違えて俺が登ってきた方と、表尾根ルートの正規ルートであるニノ塔というピークに抜けるルートだ。今回は間違えても今朝登ってきた険しい方に行ってはならない。日でも暮れようものなら間違いなく詰む。

用心深く歩いていくと標識があったので、今回は間違いなくニノ塔方面に抜けた。
しかしこっち方面もひたすらの階段と砂利の急斜面の連続なので、こっちを登ってくるにしてもこれはこれでけっこう息が切れるだろうな、と思った。もう膝が笑いっぱなしだ。

俺はここを降りているときにもう山はいいや、と思った。とんでもない目に遭わされた、と思った。もう1度このコースをやれと言われれば間違いなく断るだろう。

そしてようやく登山道から脱出することができ、舗装路に出た。正直達成感で嬉しかったが、ここからヤビツ峠までまだ20分くらい歩かねばならなかった。

ヤビツ峠

帰り休憩のために海老名サービスエリアに寄ったが、疲れすぎて食欲もなく、栄養ドリンクだけ買って飲んで帰った。
家に着いたのが20時過ぎとかそんな感じだったと思ったが、その頃には無事家路に着いたという安心感もあってだいぶ食欲も出てきていた。
イオンに行って、やはり山から帰ってきたら焼肉だろ、と思い、和牛と適当な野菜とジャンの焼肉ダレとビールを購入し、家で独り焼肉大会となった。

そしてこのいまだかつて経験したことのないような体の疲れにギンギンに冷えたビールをほぼすきっ腹に流し込んでやった。
すると、

「・・・・んァあ?!  クソうめええええあああああああああああ!!!!」


五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことを言うのだろう。温泉旅館で温泉に入った後のビールも格別に美味いが、今回のはそれをも凌駕するやもしれん。
そして焼肉もこれまたクソ美味く、さっきまで青ざめた顔して食欲のなかったのが嘘のように野獣のごとくバクバク肉を喰らった。
うーむ、これはちょっと病みつきになるやもしれん、最っ高だ!登山→ビール→焼肉の流れ最っ高!

そして独り焼肉が一息ついたら、今日の間違った道のりのことや装備のことなどあれこれ独り反省会をし、気絶するように眠りに落ちた。
で、眠っている途中、なにか違和感を感じて目が覚めた。すると左足の感覚が無くなっていた。完全に麻痺していた。
あまりにも足を酷使し過ぎてそのような状態になってしまったのかもしれない。まったく動かすことができない状態だったのでかなり焦ったが、時間が経つとだんだん感覚が戻ってきた。おそらくあまりにも疲れすぎて、変な恰好で気絶するように深い眠りについていたというのも原因だろう。

しかし翌日、両足のつま先から踵から足首からふくらはぎから膝の裏から太腿から足の付け根から、足のありとあらゆる箇所がひどい筋肉痛になり、ろくに歩ける状態ではなかった。まああれほどの時間を普段使い慣れていない筋肉を酷使していたのだから当たり前といえば当たり前なのだろうけども。幸いにもこの日も仕事は休みを入れていたのでとくに支障は出なかったので良かったが。

とにかく今回の登山では数えきれないほどの反省点があった。高尾山程度の山を登ったくらいで山を舐めていた俺は登山2回目で早くも山の洗礼を受けた。
途中「俺の勝だ」などとほざく場面があったが、無事頂上に登って帰ってこれたとはいえ、これは俺の完敗である。完全なる敗北だ。
しかし山というのは想像以上に奥が深いものだな、と思った。また、そこにはなにか忘れかけていた冒険心のようなものをくすぐるものがあった。


<終>



孤独地獄男を応援してみよう






2018/02/04

塔ノ岳は二度死ぬ(登山編その5)

三ノ塔を後にするとしばらくは木製階段や子砂利の坂道をひたすら降りる行程が続いた。

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下りというのは一見ラクそうに見えるが、足にブレーキをかけながら降りていくという運動に慣れていないため、普段使っていない筋肉を酷使し、さらにこれまでの登りの行程で足のあらゆる筋肉をすでに限界近くまで酷使しているため、なかなかキツいものがあった。
とくに子砂利の下りは、滑ってしまったらそのまま滑落してしまいそうな場所も多々あるので、とにかくあらゆる神経と筋肉が総動員された。

そして極めつけは4,5メートルほどはある崖を、設置されている鎖を掴みながら降りるといういわゆる鎖場だ。
この表尾根コースにちょっとした鎖場、崖があることはネットの情報で知ってはいたが、とはいえ鎖もあることだし、まあ崖といっても人工的に足場なんかも作ってあったりして大したものでもないだろ、と思っていたが、実際その場に来てみると、案外普通に崖になっててちょっと動揺した。

こんなアスレチッキーなことなど小学生のときにやった野田市にある清水公園のアスレチック以来やっていないので少々困惑したが、幸い50代くらいのひとりのオッサンが今まさに降りているところだったので、それを真似るようにしてなんとか降りられた。
ちなみにこのような崖の鎖場が3箇所ほどあり、先人の降り方を観察したり、息を整えたり、崖場に来るたびに軍手をはめたり外したり、俺がモタモタしているあいだに後ろから誰か来ないかなどと気を揉んだりと色々と忙しく余裕がなかったため、崖場の画像は1枚もない。

そして尾根伝いに歩く箇所もあり、その中には痩せた尾根もあるわけだが、正直崖の鎖場よりもこっちの方が怖い。
鎖とか手すりとかのない、人ひとりがやっと歩けるような、幅にして50センチくらいの尾根の上を歩く箇所が何か所かある。しかも子砂利になっていて滑りやすい。
中には人工的な丸太橋になっているところもあるが、それとて幅にして50~60センチしかない感じで、しかも橋の上は砂埃で覆われていて同じく滑りやすい。






丹沢といえば首都圏近郊のエリアにあり、交通の便も良く、首都圏に住む登山初心者にも気軽に楽しめる登山スポット、みたいな感じでとらえていたが、しかしここはここは槍ヶ岳でも岳川岳でもなく、こんな都心近隣に住む登山初心者が車で2時間もしないで来れるような山の、年間数万人は歩いているであろう正規のルートの登山道であっても、ちょっと脇を見れば死の影がぱっくり口を開けている。
ワンミスとまでもいかない、本当にささいな、ちょっと足がつるっといったとか、ちょっと横にくじいたとか、それでよろけようものならもうそれだけですぐそこに死が平然と横たわっている。

平日でもこれだけの人、休日であればもっと賑わってちょっとしたテーマパークくらいの人手がでるような場所なのに、ここで滑って滑落して死んでも、誰の責任でもない、設備がどうのとかまったく関係がない、街中や郊外にある立ち入り禁止の廃墟スポットや心霊スポット、年齢制限のある絶叫マシーンなんかより全然危険、即死すらしかねないのに、立ち入り禁止にも年齢制限も注意看板すらないのが、すごい。
たとえ小学生がひとりでここで登山をしていたとしても、誰にもこの小学生を止める権利はない。

ところで、丹沢の山道を歩いていると、たまに小さな石碑を山道の端に見かけたりするが、後にちょっと調べたところによると、どうやらこれらの大概は慰霊碑らしい。
つまり首都圏から気軽に来れる丹沢山地の中でももっとも人気のコースであるこの表尾根コースですら、いや、そのような場所であるが故に、誰彼構わず多くの人がここを訪れるからなのかもしれない、命を落としている先人達が少なからずいることを表し、それらが注意看板に代わってここを訪れる登山者達に警告してくる。
この記事の最初の動画にある、三ノ塔から少し降りて子砂利の坂道を下ったところに、黄色い帽子や服を着せたお地蔵様が立っているが、このお地蔵様もそういうことである。

さて、なんとか3箇所ある鎖場のピークをクリアし、フラフラになりながら尾根伝いを歩いていた俺だが、しかし、三ノ塔に来るまでにあれだけ半ば疲労困憊になりながらもせっかく登ってきた山を、これでもかと言わんばかりに幾度もの崖を使ってまでも降ろされてきたのだから、塔ノ岳に向かってこれからまたどれだけ登らされるのかと思うと、これはもう無理なんじゃないか、俺は思いつきと勢いだけでとんでもない失敗をしでかしたのではないかと、強い後悔の念を抱いた。

そんなことを思いながらも、幾度も伝う汗を拭いながら目の前にある登山道を登ってゆく。
そうこうしているうちにまた険しい登りとなってゆく。

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そしてようやく新大日という山頂に辿り着く。山頂と書いたが、この丹沢の表尾根コースは一応いくつかの山を越えてゆく縦走路となっている。

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三ノ塔山頂からだとすでに烏尾山(からすおやま)、行者岳、新大日と3つのピークを登って降りてを繰り返している。そしてここからいよいよ最後のピーク(あくまでも塔ノ岳に行くまでの)を迎えるのである。



この最後のピークもひたすら昇りでかなりきつい。足も限界に近づいているが、休み休みごまかしながら頭の中はもはや登ること、頂上へたどり着くことだけで一杯になっていた。

そしてようやく頂上に辿り着く。



富士山の展望が自慢の塔ノ岳山頂であるが、ガスって真っ白でなにも見えなかった。
しかし、こんな俺でもなんとかフラフラになりながら塔ノ岳山頂に辿り着けた。そのことについては、今までに感じたことのないような感動を覚えた。このヤビツ峠からの表尾根コースだと、標準で3時間30~3時間45分くらいの登山時間らしいが、俺は最初の登山道入り口の間違いや、初の本格的登山、それからナメた服装、装備ということもあり、5時間半くらい掛かってしまった。

塔ノ岳山頂は色々なルートから登ってくる合流地点でもあるので、人も多く、続々といくつかの方面から人々が登ってきた。とりあえず息を整え、適当な場所に腰を下ろし、水を飲んだ。ふと周りを見ると、おのおの食事をとっていた。

携帯式のガスバーナーとコッヘル(携帯式小鍋)を使って暖かいお茶を飲んだりカップラーメンを食べている人が結構いた。
登っているときは汗ばかりかいていて気にならなかったが、少し座っていたら急激に寒さを感じるようになった。
まあ標高1,500m近いところにいるので、それだけでも寒いのに、服装がTシャツに薄い夏用のシャツ1枚、おまけにTシャツが汗でびっしょりなのだから当然といえば当然だろう。一応厚手のシャツを持ってきていたので、それを引っ掻けた。

おもちゃのような小さいザックの中からここへ来る途中の高速サービスエリアで買ったおにぎりと焼きそばを取り出した。
おにぎりは半分潰れていた。焼きそばはすっかり冷えたうえに油っぽくなっており、正直おいしくはなく、体力回復のために眉間に皺を寄せながらただ麺を義務的に口に入れていった。

周辺を見渡すと中高年の姿が多いが、平日なのに若いカップルも何組かいた。
まあ楽しそうに山の食事を楽しんでいた。その中には三ノ塔で見かけたカップルもいて、すでに出発するところだった。
若者はやはり体力があり元気があるな、と思った。
俺は疲れた。とんでもなく疲れた。ここからロープウェイがあったら100%それを利用して下山したに違いない。

そうこうしているうちに凍えるほどの寒さを覚えるようになった。ちょっと座っていられないレベルになってきた。これは早いとこ下山した方がいいかもしれない。
しかしこれからこれまできた茨の道を、そしてあの崖を今度は降りるのではなく登るのかと思うと、軽く目眩さえ覚えるのであった。

せっかくここまで来たのだからと近くで1人で休憩していた人に記念に1枚写真を撮ってもらった。
写真を撮ってもらった後、両手に痺れを感じた。この寒さのせいだろうと思っていた。でもその痺れの感覚がいつものそれとは違う。なにげに両手を開いて見てみた。
すると、両手の指の第三関節、つまりすべての指の付け根部分から上が真っ白に変色していた。

手を揉んだり、ハーハー息を吹き掛けたりしてもいっこうに治る気配もなく、痺れを通り越して触っても感覚が無くなってきていた。その指の付け根部分から上が真っ白に変色したその変色の位置が、まさにエベレスト登山等で凍傷に掛かり、指先が真っ黒になってのちに切断せざるをえなかった登山家のものと似ていたので、これは凍傷の始まりか、低体温症の始まりかもしれなかった。

そして凍傷にならないまでもこの状態のまま回復しなければ、鎖場の鎖をろくに掴むことはできない。つまりあの崖をよじ登ることは不可能であった。その事実には狼狽せずにはいられなかった。


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2018/01/29

恋しさと せつなさと 小室哲哉と

今月中旬、にわかに湧いて出た小室哲哉の不倫騒動からの引退のニュースであるが、それはさておきなにが驚いたかというと、小室哲哉が今年還暦を迎えるという事実である。
小室の全盛期、いわゆる小室ファミリーバブルの時期は90年代中期であるが、この頃彼はすでに30代半ば~後半であったが、童顔で端正な顔立ちであったから、当時20歳前後の若者である俺から見てもオジサンという感じは全くせず、カッコいい青年という感じだった。あの頃からもうこんなにも未来にきてしまったのか、という感がハンパない。

とはいえ、その頃というのは年数でいえばもうふた昔前、20年も前のことであり、今の20代の若者、すでに社会人となっている若手社員でさえその頃の記憶はほとんどない時代のことだ。
先日、といっても昨年暮れのことで小室の不倫疑惑が出る前のことだが、キャバクラで音楽の話になって、21歳のキャバ嬢に「gloveっているでしょ、音楽グループの」
って言ったら、
「え?しらなーい、なに?グローブって?野球で使うグローブ?」
とか言い出し、
「え?知らないの?小室哲哉って知ってるでしょ?」
「え?小室哲哉?えーと・・・、あぁ、歌手だよね?確か?」
などと真顔で曖昧な返答をしてきたので、その時の流れ、世代交代の流れの早さに驚愕した。
目の前にいるキャバ嬢は、20年前の21歳くらいの女の子と姿形、髪形、ファッションとそう変わりはないのに、記憶の部分がまったく別の、いつのまにか未来人のものになっていた。

まあ考えてみれば、彼女が生まれる前からすでにTRFやら安室奈美恵やら華原朋美やらが歌っていたわけだし、彼女が物心つく前に小室ブームは去っていたのだから無理はないだろう。
これをたとえば俺が20歳前後くらいの時に41歳のオッサンと同じようなやり取りがあっとすれば
「え?吉田拓郎?えーと・・・、あぁ、歌手ですよね?確か?」
といったところだろう。


さて、ここで少し小室バブルの始まりと終焉、その時代背景について俺の視点で振り返ってみたい。
まず小室バブルに一気に火が着いたのは、1994年7月発売の篠原涼子 with t.komuro名義による「恋しさと せつなさと 心強さと」あたり、つまり1994年夏だったのじゃないかと個人的には思っている。
前年にはすでにTRFがデビューしており、TRFの代表曲のひとつである「EZ DO DANCE」も93年夏にすでにリリースされているが、当時ダンスミュージックというものがまだアンダーグラウンドな音楽であったためか、オリコンチャートの最高位も15位であり、それほど話題にならなかった印象があるが、翌年の1994年の5月に「 survival dAnce 〜no no cry more〜 」6月に「BOY MEETS GIRL」と立て続けにミリオンを連発し、そしてその波に乗ったまま、極めつけの7月発売の「恋しさと せつなさと 心強さと」ではダブルミリオン(累計売上202.1万枚)を達成している。

また、篠原涼子は今でこそ大女優という風格があるが、当時は東京パフォーマンスドールというそれほどメジャーでもないアイドルユニットに所属しており、そしてなぜだかダウンタウンの冠番組である「ごっつええ感じ」のコントに初期から出演していた。
なので、東京パフォーマンスドールよりも、「ごっつええ感じ」でのおバカタレントという認識の方が強かったと思う。
だから、そんな彼女を小室哲哉がプロデュースしたという時点でまず意外性があり、しかも楽曲も良く、唄わせてみたら歌唱力もあったということで一気にブレイクしたと思う。

ちなみに彼女が小室の曲を歌うのは実はこれが初めてではなく、1992年10月3日~1993年7月17日にかけて日テレで土曜日の夕方に放送されていた「ヒューヒュー」というバラエティ番組のオープニングでは毎回東京パフォーマンスドールが出演して唄って踊っており、そのオープニング曲を提供していたのが小室である。

一方、小室バブルのブレイクという意味では、1995年夏頃だと思っている。
まず1994年の10月からダウンタウンの音楽番組「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」がスタートし、その番組にTRFが出演するようになり篠原が出演するようになり、彼らにくっついて小室も出演するようになり、その流れで番組内で浜田が「どや、わいにも歌書いてみいへんか?」みたいなやり取りになり、H Jungle with tが誕生した。
その後、1995年4月の深夜に「TK MUSIC CLAMP」という音楽トーク番組がスタートする。小室哲哉にとって初の冠番組・初の司会・初のレギュラーとなる番組であった。

浪人生だった俺は当時ネットなんて無いから、情報源といったらもっぱらテレビであり、家に居ちゃテレビばっかり見ており、特に当時は阪神淡路大震災から間もない時期であったからその復興の様子を見たり、またなんといっても地下鉄サリン事件直後の時期なので連日連夜それ関連のニュースが飛び込んできて昼夜問わずテレビから目が離せない状況であり(勉強しろ)、深夜もちょっと勉強しちゃあ、ちょくちょくテレビを付けていたので、当時この番組もよく見ていた。

ちなみにこの番組の面白いところはメインのゲストトーク終了後、ちょっとした歌コーナーがあり、そのトークゲストとはなんの関係もなく、当時若手の女優、タレント(小室の好み?)をゲストとして、小室のシンセサイザーかピアノの演奏で自身のプロデュース楽曲をゲストに歌わせる、というものがあった。
このゲストというのがまた興味深く、歌手デビュー前の華原朋美、浜崎あゆみ、広末涼子や、仲間由紀恵、前田愛、藤崎奈々子、田中麗奈、鈴木紗理奈、奥菜恵、矢田亜希子、山田まりやなどがいた。
今こうやって名前を出してみると今となっては大物ばかりだが、当時まだ新人で世間にあまり知られていない彼女らが小室の生演奏をバックに初々しく唄うのだから、今あらためて見ることができればとても面白いと思う。
この歌コーナーだけをまとめてDVD化してほしいものだ。

さて話がそれてしまったが、4月に小室の冠番組が始まり、その後8月には東京と大阪で「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」というビッグ野外ライブイベントを開催し、globeが初めてその姿を人前に現した記念すべきイベントであり、安室奈美恵も初の小室プロデュース曲「Body Feels EXIT」をお披露目したイベントであり(楽曲発売は2か月後の10月、ちなみにバリバリユーロビート調の「TRY ME 〜私を信じて〜」は小室プロデュースではない)、そのほかTRFやhitomi、観月ありさ、篠原涼子、H Jungle with tなど、小室ファミリーが一同に会した最初のイベントであった。
ちなみにこのライブはのちにビデオ化され、レンタルビデオ屋にも置いてあったので、俺は当時3回くらい借りて観た(残念ながらDVD化は今のところされていないようだ)。

そして9月には華原朋美が「keep yourself alive」でデビューし、10月には「I BELIEVE」をリリースする。
よって、小室ファミリーらしい小室ファミリー、ザ・小室ファミリーのメンツはこの年の夏~秋にかけて一気に出揃う。
意外かもしれないが、安室奈美恵や華原朋美はこれら小室ファミリーの中では案外後発組ということになる。
そしてその後1996年にかけてそれぞれのユニット、歌手から名曲が発表されてゆくわけであるが、どうやらそのあたりが小室バブルの絶頂だったかな、という感じである。
ちなみに当時の小室哲哉の異常な勢いを物語るデータがこちら↓

【1996年4月15日のオリコンシングルチャート】
1位 安室奈美恵「Don't wanna cry」
2位 華原朋美「Im proud」
3位 globe「FREEDOM」
4位 dos「Baby baby baby」
5位 trf「Love&Peace Forever」

1位~5位をすべて小室哲哉プロデュースで独占している。
https://middle-edge.jp/articles/BCLlU
今の若い人達は「てか当時ほかにライバルがいなかったんじゃね?」とか思われるかもしれないが、当時の音楽業界は今なんかよりもむしろ群雄割拠の時代であり、この日のチャートだけでもB'zやイエモン、ジュディマリ、LUNA SEAがランクインしているが、他にもスピッツやミスチル、ドリカム、ZARD、GLAYなどの大御所ミリオンヒットメーカーが全盛期を迎えており、1996年だけでもその後、相川七瀬、PUFFY、ポケットビスケッツ、久保田利伸、SPEEDなんかが出てきてそれぞれミリオンを出していたので、1996年というのは日本経済はバブル崩壊から翌年の金融危機、就職超氷河期の暗闇に向かう一方で、日本の音楽業界全体、J-POPにかぎってはバブリーな年であった。


さて、次は小室バブルが若者世代に与えた影響を俺なりに振り返ってみたい。
まず真っ先に挙げられるのが「茶髪文化」だ。茶髪が文化かどうかという議論もあろうが、とにかくほぼ茶髪しかいない小室ファミリーの露出が増えるのに比例して若者の茶髪率も上がり、ゆえにドラッグストアでもブリーチ剤が大量に店棚に並べられ、昔は不良の象徴だった茶髪が一気に市民権を得た感がある。
2000年代中盤くらいまでは、大学生以上~30代くらいの女性に限っていえば、9割くらいが染めてるんじゃないか、もはや黒髪の女を探す方が難しい、くらいのレベルにまで達していたかと思う。
もう女優からNHKのアナウンサーから歯科助手から看護師から風俗や飲み屋のオネエチャンから、全国の女総茶髪状態。
AKBが出てきたあたりからちょっとずつ黒髪が増えてきたかな、という感はあるが、それまではまあとにかく特に女性は、もはや義務で髪を茶色に染めている感じだった。
それに小室ファミリーの連中はKEIKOや安室など、茶髪というより金髪みたいな派手な色の人も多かったから、街中でもそういう人達が増えて、なんだか街中がカラフルになったものだ。

そんな俺も大学時代に興味本位で2,3回染めたこともあったが、まあ貧乏学生には染める金がもったいないという理由と、自分みたいに根本的に垢抜けてない奴が髪を染めることによって垢抜けを計ろうなどというのは、なんだか浅はかに思えてえかえって恥ずかしいという理由でほとんど黒髪で過ごした。
でも、当時は茶髪が市民権を得たと同時に、TRFのSAMのような、肌の色が黒くて茶髪、ロン毛みたいな、チャラい感じの奴も市民権を得てきて、普通の女の子に対して普通にモテはじめた。

さらに当時茶髪×ロン毛の組み合わせは天下のキムタクがやっていたし、小室哲哉も1996年頃からだんだん茶髪×ロン毛になっていったので、まあそういうファッションが市民権を得ていったのも当然だったのかもしれない。
ちなみに俺はといえば、色白、黒髪短髪癖毛といった風貌で彼ら、そして世の中の流行とはまったくもって対極に位置し、いくら若さがあり長身といってもまあまったくもってモテた試しはなかった。

それはいいとして、1995年から1996年にかけて絶頂を迎えた小室バブルであるが、1997年あたりから小室サウンドはだんだんと食傷気味となってゆき、小室バブルにも陰りが見えはじめる。しかしそれは致し方のないことだろう。去年も今年も毎週のように小室ファミリーの楽曲がヒットチャートの上位にランクインしていれば、それは乱発している曲がどんなに名曲ばかりだとしても同じようなテイストであれば人間いずれ飽きがくる。
それとは対照的にJ-POPのバブルはまだ続いており、前述のアーティストに加えて、新たにEvery Little Thing、ラルク、河村隆一、つんく(モーニング娘)などのヒットメーカーの曲が続々とヒットチャートの上位に食い込んでくる。

オリコンシングル年間ヒットチャートでいえば、小室プロデュースの曲は1997年こそトップ10で3曲(ちなみに1位が安室の「CAN YOU CELEBRATE?」で222万枚)、トップ20位までいれると2曲加わって全4曲となるのだが、1998年になるとトップ10はおろか、トップ20まで入れても小室ファミリー、小室プロデュースの曲は1曲も入っていない。
42位でようやく安室が「Dreaming I was dreaming」(55万枚)という曲で顔を出す程度である。

そして1998年末には小室哲哉にとって衝撃的なアーティストがデビューし、衝撃的な曲がリリースされる。
宇多田ヒカルであり「Automatic」だ。
そのことについては、ちょうど1年ほど前に放送されたマツコの知らない世界2時間スペシャル」について語られている。
http://news.livedoor.com/article/detail/12521811/
小室は「Automatic」を聴きPVを観て、「新しいな!」「歌われている英語がネイティブの英語でこれはもう敵わないな」「作詞の概念も変えられてしまった。僕には「Automatic」というのが出てこない」などと思い、敗北感を抱いたということである。

確かに当時、宇多田ヒカルの登場はJ-POPシーンにおいて衝撃的だった。これまでR&Bというのは過去のJ-POPシーンにおいてまったくなかったわけでもないのだろうが、80年代~90年代におけるアイドルブーム時代、バンドブーム時代、小室ブーム時代にはなかった新しいテイストのサウンドであることは疑いようもなく、さらに衝撃的だったのがこの「Automatic」の作詞作曲が宇多田ヒカル本人であり、しかも彼女の年齢が弱冠15歳(高1)であるということだ。
この際彼女が藤圭子の娘かどうかということはまったくどうでもよかった。というか、前述の21歳のキャバ嬢とのトークじゃないが、当時の俺らくらいの若者にとってすでに藤圭子は顔も知らないし、どういう人かまったくわからない人物だったからだ。

それはいいとして、この「Automatic」という曲は、ただ新しいテイストの曲ということだけではなく、これまであったようなPOPな感じだとかノリやすい感じだとかカワイイ感じだとかそういうものとは違って、「女性ヴォーカルの曲なのに曲自体がなんかカッコいい感じ」「曲自体がなにかオシャレな感じ」といった、これまでのJ-POPには無かった要素があり、さらに歌われる歌詞の英語がネイティブなものとあればそのカッコいい感じ、オシャレな感じがさらに拍車が掛けられ、説得力を持ち、小室に「あぁもう、これは敵わないな」と思わせたのも無理はないのかもしれない。

ちなみに「Automatic」リリースから4か月後の1999年3月に彼女の初アルバムである「First Love」がリリースされるわけだが、当時俺はパチンコ店の店員としてバイトをしていたが、景品交換のバイトの女の子が休憩もしくは休みなどで代わりに入った時、客は通常、景品交換で景品交換の棚に飾られている品物と交換などせず、金品と交換するわけだが、この「First Love」がリリースされた当初だけは、来る客来る客この「First Love」のCDと交換していったのを覚えている。

彗星のごとく宇多田ヒカルが登場し「Automatic」がリリースされたことによって、小室バブルの終焉は決定的となった。それは小室哲哉本人も認めざるを得ないところであったのだと思われる。
ちなみに1999年のオリコンシングル年間ヒットチャートでは、小室プロデュースの曲は、トップ10は昨年に続いて無し、トップ20で17位に鈴木あみの「BE TOGETHER」がかろうじてランクインしているが、この曲はTM NETWORKの曲のカバーであり、その後となると29位に安室の「I HAVE NEVER SEEN」がランクイン、という状況になっている。
そしてこの年から宇多田と並ぶ新しい歌姫である浜崎あゆみの楽曲がちらほらランクインしている。

ところで、小室バブルが絶頂から終焉に向かうにつれ、そして人々が小室サウンドに食傷気味になってゆくにつれ、小室の曲はやれ商業的だ、やれまた小室か、みたいなことが囁かれ始めていたが、しかし、商業的なのはそれは小室がプロの音楽家なのだから当たり前だし、色々な大人の事情があり、小室の後ろにはクライアントもいるわけであり、逆に言えば、そういった環境の中で「商業的」にあれほどのヒット曲を連発したというところが、まず偉人、変人である。
最近のJ-POPシーンなんかでは、そもそもその商業的音楽にすらなっていない、頭にまったく印象が残らない曲ばかりで溢れている。

小室バブル末期で、「Automatic」を聴いて敗北感を抱いたみたいなことを言っていたが、それまでにすでに小室バブルというとんでもない金字塔を打ち立てているのだから、そこに勝ちも負けもないだろう。あの頃の小室の楽曲、たとえ自分がとくに好きな曲じゃないとしても流れてくればすぐあの曲だとわかる、CDを買ったり自ら好んで何回も聴いているわけでもないのにあの頃の曲はカラオケでだいたい歌える、それって本当に凄いことだと思う。「ちょっとキミ、誰でも印象に残って誰でも歌えるような曲、ちょっと作ってよ、来月までにね」なんてクライアントに言われて、そのようにできる音楽家がいま日本にいるのだろうか?しかも2,3曲とかじゃない、何十曲もだ。

これまでにも、作曲家と作詞家のそれぞれの巨人、たとえば作曲家でいえば財津和夫や松任谷由実、来生たかお、桑田佳祐、筒美京平、細野晴臣など、作詞家で言えば阿久悠、松本隆、秋元 康などがざっと思い浮かぶが、この両方を掛け持ち、さらにプロデュース業まで掛け持ってここまで成功した日本人というのは過去にまず見当たらない。その才能、間違いなく変態だ。


さてここらへんで小室バブルの話は終わりにして、俺的小室哲哉作曲ベスト7とその簡単な解説をしていきたい。

1.50/50 / 中山美穂 (1987年7月)
2. Wanderin' Destiny / glove (1997年10月)
3.My Revolution / 渡辺美里 (1986年1月)
4.Get Wild / TMネットワーク (1987年4月)
5.boy meets girl / trf (1994年6月)
6.survival dance / trf (1994年5月)
7.oh-darling / convertible(観月ありさ)(1998年7月)

とりあえずこんな感じになったが、3位~7位は僅差というか、その時々で自分の中で評価が変わる。ちょっと聴かなくなって久々にラジオなんかから聴こえてきたりするとどれもいい。
7位の「.oh-darling」は当時「ボーイハント」という1998年夏に放送されたドラマの主題歌にもなったが(ちなみに華原朋美も出演していたりする)、この曲は夏っぽさがよく出ているし、当時このドラマの出演者と同じく若者だった俺の(冴えなかったけど)青春の夏が思い出されて良い。
この曲が3位でもいいのだが、他の曲のレベルが高すぎてとりあえず7位になっている。

2位がglobeの「Wanderin' Destiny」だが、これは1997年秋の名作ドラマ「青い鳥」の主題歌であり、この曲の雰囲気と歌詞がこのドラマの静かでどこかもの悲しい、けれどどこか熱い雰囲気にぴったり合っていて、小室の曲の中でもとくにお気に入りの曲である。

そして1位が中山美穂の50/50だ。フィフティフィフティと読む。
この曲のなにがいいのかというと、何を隠そうこの曲はナンパの曲だということだ。
とりあえず歌詞を見てみよう。



見つめる視線 胸を刺す銀のピン 熱いアヴァンチュール
ばかにしないで かけひきなら 50/50 甘い罠

知ってるわ あなたのスキャンダラスな噂は
カリプソのリズムで 恋愛を操る セクシーマリオネット

だましたつもり だまされたふり 夏を演じましょう
死んでるみたいな 慣れあいの恋 したくないだけなの
罪の意識いらないわ
Fall in love, fall in love with you tonight

囁く吐息 胸を刺す銀のピン 燃えるアヴァンチュール
灼けた素肌に 籐がほら痛い
そうよ誰もが 同じ事をしてるわ かわいい顔して
ばかにしないで子供じゃない 50/50 甘い罠

知ってるわ あなたにとって私はカクテル
ビターズのしみた 角砂糖がとけたら 恥じらいも消える

その優しさはあなたの弱さ 男のナルシズム
そして女は傷つくかわりに ときめきに酔うのよ
涙さえも演出ね
Fall in love, fall in love with you tonight

見つめる視線 胸を刺す銀のピン 熱いアヴァンチュール
ジャスミンの微風 ほどく髪にからむ
そうよあなたと同じ事望んでる とまどうふりして
ばかにしないで かけひきなら 50/50 甘い罠



歌詞はこんな感じになっている。少し解説していく。
まず曲名が「甘い罠」ではなく、「50/50」としているところが良い。この作詞者がもし女性だったらおそらく「甘い罠」としていたところだろう。恋愛は駆け引きなんだ、男も女もその駆け引きにおいてどちらが悪い悪くないもない、フィフティフィフティなんだ、ってところが良い。
そして「だましたつもり だまされたふり 夏を演じましょう」ってところが良い。「そうよあなたと同じ事望んでる とまどうふりして」ってあるように、どちらもその先にある目的は一緒なのだから。

その魅力的な、涙さえも演出の小道具として使うナンパ師がこれまで数々の女と遊んでる、泣かしてると知っておきながら、死んでるみたいな慣れあいの恋はしたくない、ときめきに酔うためにフィフティフィフティの駆け引きにおいてナンパされる、それを夏を演じるという言い回しにしているところが粋で良い。
そして皮肉っぽく、誰もが同じ事をしてるわ、かわいい顔して、だから罪の意識なんていらないわ、ってところも10代の女の子をよく表現していて良い。ちなみに当時この曲を歌っていた中山美穂は17才。

こんな感じでこの曲は曲自体がいいのはもちろん、歌詞やその内容もよくできていて、他にあまり類のない、あからさまにナンパの曲ということで俺のお気に入りの曲なのだが、ただちょっと残念なのは、この作詞が小室ではないということだ。


さて、最後に先日の小室の記者会見について少しだけ触れさせてもらうと、1時間40分弱もの会見の中で、「自発的な音楽活動は本日をもって退こうと思っています」という発言があったが、「自発的な」という言葉が意味深なところであり、これは、裏を返せば「人から必要とされればこの限りではない」と言っているようにも思える。
まあ俺としては今後どういうかたちであろうが小室には楽曲を制作していてほしいし、むしろ、小室哲哉としてではなく、なにかペンネームでも使って、こっそり誰かの曲を作ってたりした方が面白いし、まだ有名になる前に作った「My Revolution」や「50/50」のように、 案外いい曲ができるのではないか、とも思っている。


久々に長い記事となってしまったが、エンディングとして「TK MUSIC CLAMP」にならって、この曲を「華原朋美 with t」バージョンでお送りして結びとしたい。






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2018/01/05

キャバクラ巡り

IMG_1811.jpg

さて、ブログで書きたい内容が山ほどあるのに、仕事が忙し過ぎて結局そのまま大晦日を迎えそうである。
いや、もう明けてしまった。実は下書き段階ではまだ去年の暮れだったので上の一文で書き始めていたのだが、結局明けてしまった。
とりあえず本年も宜しくお願いいたします。

ブログで書きたいこと以上に読みたい本がたくさんあることと(すでにアマゾンなどで購入していて積読状態)、相場関係の勉強、山関係の知識の吸収など、やりたいことがたくさんあるので、このまま年明けをしてしまおうかとも思ったのだが(結局年明けしてしまった!)、前回のブログを読み返してみたら、「一応ケジメとして今月はなるべくこのブログと向き合う時間を増やしていきたい」などと恰好つけて余計なことを書いてしまっていたので、また酒を飲みながらであるが(とはいえ仕事が忙しく6日振りの酒)、今年最後?のブログを書いていきたい。(結局この酒を飲んだまま寝てしまったw)

俺はこれまで女関係の遊びというものは、そこそこ情熱を傾けて取り組んできたつもりだが、しかしメジャーな女遊びの中で唯一ほとんど手を染めていないというか、ハマれない、楽しいと思えないものが「キャバクラ遊び」であった。
それはやはりコストパフォーマンスが悪いと思っていたからだろう。不味い酒を飲みながらただ女としゃべっているだけで、風俗と同等かそれ以上の金額を支払うとなれば、己が若ければそりゃ風俗にいってしまうだろう。風俗に行こうがキャバクラに行こうが、つまるところの最終目的、目指すところは結局一緒なのだから。

なので40歳まででキャバクラというものは、スナックも含めて10回行ってるか行ってないかというところであり、その中には付き合いで行ったものもあるので、自分の意思で行ったのはほんとうに数えるほどである。
しかしここにきて、夏頃から女欲が少し上向きになってきたこともあり、とはいえ最近のデリヘルもろくな女がいない、出会い系は死んでる、ナンパはムリ、ということでちょっとキャバクラを攻めてみることにした。

まあ考えてみれば時間効率で言えばナンパよりキャバクラの方が圧倒的に良いことは確かだ。金さえ払えばとりあえず女の子とは100%しゃべることができる。ナンパみたいに1日丸坊主でしたとか、こっちが話掛けているのに無視されるなんてことはまずない。
それに場内指名ができるので、デリヘルのように地雷を踏んだらはい終了、みたいなこともない。とりあえずフリーで入って1人目の子が付いているときにさりげなく周囲の女の子を観察、お気に入りの子がいれば1人目の女の子終了と同時に場内指名を入れればいいだけだ。


ということで、俺は秋口頃から地味にキャバクラ巡りをしていた。ここ数年キャバクラには行っていなかったが、キャバクラを数店回ってみてひとつ気づいたことは、ひと昔のキャバクラみたいな、金髪で巻き髪やアップにして上に盛ってる感じみたいないわゆるキャバ嬢みたいなタイプの子は絶滅しており、その辺の地味~な子がいかにも安っぽいドレスを着せられて、いかにもバイトで接客してます、みたいなのが多くなったことだ。
そしてキャバクラも風俗同様、少子化の影響からかパッとしない子ばかりなのである。デブで短いドレス着ちゃって太モモを擦らせながら歩いてくる奴もいる。いわゆる「ドム」というやつだ。おじさんの顔もさすがに引き攣る。とはいえあからさまに嫌な顔もできないとは思いつつ、苦笑いみたいなあまり普段じゃ感じたことのない顔の筋肉の張り具合になっているのが自分でもわかるので、「ああ、どうも」といいつつすかさずウイスキーの水割りのコップに手を伸ばしやり過ごす。

キャバクラは付いてしまったらチェンジとか放流とかできないところがちょっと辛いところではある。風俗みたいに写真指名とかもできないので最初はもうフリーで入るしかない。フリーで入って最初の一人目でカワイイ子に当たるということはまずない。だいたい数少ないカワイイ子はもう先客の指名で抑えられてしまっていることが多いからだ。なのでフリーで入れば指名をもらえないブス、ドム、ババアを充てがわれる可能性が非常に高い。
それから空いている時はフリーで入ると1時間で20分くらいずつ3人回してくれたりするが、混んでいると1人で30分相手にしなければならず、ブス、ドム、ババアを相手にしつつ次のチェンジに備えて場内指名を入れる子を必死に探さなくてはならないので、結構疲れる。

そして場内で自分の気に入った子というか(ほとんどそういう子はいない)、場内指名をしたい子がいない場合、ほぼゲーム終了となる。
そのまま放っておくと自動的に2人目が出てくるわけであるが、当然のごとくほぼ間違いなくブス、ドム、ババアが登場する。俺は彼女らを「地雷編隊ジライヤ」と呼んでいる。
ちなみに先日、このケースで、1人目、2人目ともに38歳のオバサンが付いた。30分30分でオバサン三昧。口直し一切なし。地方の場末のスナックだって1人くらいもうちょっと若い子がいるんじゃないのか。
しかもキャバクラで38歳なんて言ってるくらいだから実際は40overの可能性が高い。

そんなキャバクラ巡りの中でも自称24歳の、そこそこのお気に入りができ、同伴なんぞを2回してみたが、とにかく高い。一緒に飯食ってその後キャバクラで少し一緒にいるだけでもうデリヘル2回分の金が飛ぶ。しかも女の方も慣れてくるにしたがってなんの遠慮も躊躇もなく高いドリンクを水のごとく一気飲みしていく。まあ実際はサワーという名のソフトドリンクなのだろうけど。

同伴前の食事の時にお互いビールを1杯注文し、次なにか飲むかと促せばもういいと断ったくせに、キャバクラではグラス大の1杯3,000円のサワー(氷山盛り)を、会話はそっちのけにグイッとラッパ飲みした挙句、「すいませ~ん、これお願いしまぁ~す」なんて言って即おかわりしているのを見るとさすがに引く。ロマンスもなにもあったものじゃない。

その後、12月は仕事が忙しく1回もキャバクラには足を運んでいないが、昨日久しぶりに行ってきた。で、店は空いていたが1人目はお決まりで歳は若いけどブス、2人目は若くて容姿も並であったが、会話がいまいち盛り上がらず。2人とも名前も言わず。こっちから聞きもしなかったが。

ここにきてもうキャバクラにも飽きてきた。自分が金を使いたくなるような、夢中になれるような女がいない。
けっこうあちこち店を変えて行っているのだが、嬢のレベルはどこも似たり寄ったり。
高い金払ってどうでもいい女に同じような会話を繰り返す作業がしんどくなってきた。
とりあえず時間があればキャバクラ活動は続けていくと思うが、ちょっともうテンションは下がりつつある。



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2017/12/06

筋トレとソープ嬢

またブログ更新の間隔が空いてしまった。
とにかくもう忙しくて(主に仕事だが)、なかなかブログにまで手が回らない。
いや、facebook的にというか、ツイッター的にというか、今日こんなことがあってメッチャ楽しかっただとかムカついただとか何々がおいしかっただのと、そんなたわいのないことを4行5行で定期的に書くことはそれこそたわいのないことだが、そんなことをしてもちっとも面白くもないし俺の性に合わないので、色々考えたり仕事したり遊んだりしているうちにこのように約2か月放置してしまった。
でもまあこんな糞ブログを定期的にチェックしておられる方は全世界規模のインターネットといえども2,3人くらいなので、ほとんど影響はないのだけれども(笑)

それはさておき、暑い夏が終わり、と同時にそこからいつも通りあっという間に年末を迎えたわけだが、とはいえここ3か月はそこそこ色々あった。
女関係、山関係、それなりに色々あったのではあるが、それが文章化されないで年末まできてしまったことが少々悔いではある。
いや、悔いるのはまだ早いかもしれない。一応2017年はあと1か月近くある。師走というだけあってこの1か月は修学旅行のごとくせわしなくあっという間に過ぎ去ることは過去何十年も経験してきたことなので重々わかりきっていることだが、一応ケジメとして今月はなるべくこのブログと向き合う時間を増やしていきたい。

前置きはこの辺にして、秋口に書きかけてそのまま放置していた話からとりあえず取りかかりたい。



ちょっともう女体欲というかセックス欲がどうにもならないところまできてしまったので、先日(といっても9月の話だが)ソープランドに行ってきた。
俺はこれまで風俗自体はそこそこ経験があるものの、ソープランドというのは意外にもまだ1度しか行ったことがない。それも10年くらい前に1度行ったきりである。
なぜこれまでデリヘルや箱ヘル、NK流などには行っていたのにソープには行ってなかったのかと言われれば、それはまずソープランドというものが限られた地域にしかないということだ。
ネオン街にピンサロやファッションヘルスなど箱ヘルは何店舗かあるのだが、ソープは無い場合が多い。
それともうひとつは〝プロ〟というか、〝玄人感〟というのかな、それが嫌というか。容姿云々じゃなく。なにか楽しいこと、気持ちいいことを一緒にしようとした場合、そのレベルが自分と相手とじゃ離れすぎていると、なにか面白くないというか。
慣れちゃってる人と同じことをやったり、もしくは食べ物でもいいのだが、一緒に食べても今一つ楽しくないというか。
あとはあまりにもオープンというか、金さえ払えば誰でもほぼほぼ合法的にセックスできてしまうというのがいまいち魅力に欠けるところなのかもしれない。

しかし、ひと昔ふた昔前はテレクラや出会い系サイト、NK流でコンビニ感覚で割と簡単にセックス相手は見つけられたのに、ここにきて、様々な規制絡みのせいでそんな昔のようにお手軽にセックス相手(とくに若い子)は見つけられなくなってきたように思える。オッサン世代にはとくに。
俺もこの夏は昔ながらの出会い系サイトからデリヘル、デリバリーリフレなどを手あたり次第漁ったがまあことごとく不発であった。
とくにデリバリーリフレは酷かった。今年の7月だかに現役JKの性的ビジネスアルバイトが完全違法となり、それ以降に俺は動き出したため、JKリフレとうたっておきながら来る姫来る姫がまあ明らかに20歳越え確定であり、それはまあいいのだが、しかしブサイクばかりであり、勃起もままならんようなブサイクばかりであり、しかもなんかしらんが上から目線の奴が多かった。

その中で19歳か20歳だったか忘れたが、容姿が並の子が来たので「裏オプとかあんの?」とかふっかけたら「2.5で」とか言ってきたので(サービス料7千円は別)、妥協してそれでいいと言ったら、私はもうシャワー浴びてきてるからいいけど、そっちは浴びてきてだの、ゴムはちゃんと持ってきてるのかだの、まるで母親みたいな事前確認をした挙句、「キスは無理」だのNK流みたいなことを抜かしてきやがったので、裸にした挙句、指1本触れずに「なんか萎えたわ、これやるからもう帰っていいよ。」と5,000円渡して帰した。店の料金合わせて12,000円。
女は「なんか切ないね」とか捨てセリフを抜かしてたけど、切ないのはこっちだわ。指1本触れられず裸になっただけで12,000円も稼げりゃ文句ねーだろ、糞女が。
つかな、19歳とか20歳とか女の体の一番綺麗な時期に、40歳越えのオッサンみたいな、若い女の裸体を一番貪りたい世代を前にして自らの裸体を晒けだしといて、指1本触れられずに服を着させられる恥を知れや糞が。しかも金だけ渡されて返されたんだよ、おめーは。金渡すから頼むから早く服着て帰ってくれって言われてんだよ。女の肉体的な絶頂期でありながら、それほど魅力がないって言われてんだよ、おまえ。

その女が帰ってから2人呼んだがまあ糞だったよ。この日3人呼んで射精なし。金いくらつかったかな、あまりにムカついたので勘定していない。


あ、タイトルは筋トレとソープ嬢だったな。今仕事終わって部屋の掃除して酒飲んでる。すまん、そういう感じになってる。
こういうような夏の出来事があったからもうどうにもならなくなってある地域のあるソープランドに行ったのだ。
もう午前中からいったさ。10時とかそのくらい。
写真見て20歳って書いてあったそこそこの子を指名したのだ。
そうして現れた子はまあ写真とは違う子ではあったものの、俺は案外なんつーのかな、若々しければブサカワイイ方面って綺麗系とか美人な子より案外OKなのよ。とはいえデブは論外だけどね笑

そんなこんなで勃起十分な子に遭遇し、でも「20歳だっけ?」と言ったら普通に「もっと上、20代中盤笑」とか言ってたが、まあ普通にヤレた。
で、話はちょっとズレるのだが、実は俺、ここ3年くらい週1,2くらいのジョギングと、自重筋トレを続けてきたのだが、腕立て伏せなどの自重筋トレに限界を感じ、夏前くらいに重りの重さを変えられるダンベルとベンチを買ったのだ。
それプラス、プロテインなんかも飲みだして、まあ気の向くままに筋トレなぞをしていて、まあ松本人志氏なんかに比べればまだまだヒョロいものなのだが、今までの風俗体験の中で初めて風俗嬢に「腕の筋肉凄いね!」なんて言われたので、ちょっと嬉しくなってしまった。いや、あまりにも会話がなかったので(とはいえ雰囲気は悪くはなかったのだが、なんかソープランドって話題探しが難しくないかい?)、苦し紛れに言ってくれたのかもしれないが、まあでも悪い気はしなかったな。

もう1回くらいこの嬢と交えてもいいかなあと思っていが、結局行ってない。というか、2016年~2017年シーズンでこの1回しかセックスしてないわ、俺。というか、来年42歳になるのだが、40代でまだ1回しかセックスしていない。

なんか椎名誠みたいなエッセイ風になってしまった笑
オッサンになるとみんなこういう風な丸い感じになっていくのかな、それともそういう風を演じているのかな?はてはてほほ~。さてほほ~。



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2017/10/04

塔ノ岳は二度死ぬ(登山編その4)

とりあえずその木の根階段を行けるところまで行ってみようと思った。それでいよいよもう無理そうなら素直に引き返して今日の登山も終わりにして帰宅しようと思った。

相変わらず木の根階段の傾斜はキツく、しかもだんだん木の根階段ですらなくなり、もはや両手で木々をつかみながらふぅふぅ登っていくと、突如人工的な丸太階段が出現した。木の根階段地帯に入ってからこれまで、この先危険の立て看板以外は人工的なものはなく、これまでの木の根階段も、無理やりこれは階段なのだ、超自然的に見えるが、ここいらの山の管理人だかによって利用できるものは利用し、計算し尽くされてこのような階段になっているのだ、むしろこういう演出なのだと、ごまかしごまかし自分に言い聞かせてこなければ、およそ人工物というものは見当たらなかった。
そしてそれはまるでRPGのダンジョンで、どうにもここから先どうやって先に進めばいいのかわからん、と同じフロアをもはや瀕死状態になりながらウロウロしている時に突如隠し階段が表れたような感覚を覚えた。


IMG_1401.JPG

(助かった!人口階段があるということはここを登ればなんとかなる)
ここが登山ルートであるかどうかというのはまだわからないが、とりあえず遭難という危険性は大きく退いた。
そしてこれまでの不安と恐怖が入り混じる暗雲が垂れこめた気持ちが一気に薄らいでいき、足取りも軽くなった。
その軽くなった足取りでどんどん進んでいくと、やがて拓けた場所に出た。そして三角屋根の山小屋らしきものが見えてきた。どうやら三ノ塔と言われる場所に到達したみたいだ。
でも、事前情報では三ノ塔の前に二ノ塔というものがあったと思ったが、どうやらそれをすっ飛ばしてきてしまったらしい。というか、この三ノ塔の広場に入る直前に枝分かれした山道があったので、本来ならそちらから昇ってくるはずだったのかもしれない。そしてそちらのルートにおそらく二ノ塔があったと思われる。

しかしまあとにかくガスっていて真っ白でせっかく苦労して登ってきたのになにも見えやしない。それに平日とはいえ人気の登山ルートでありながら山小屋やベンチがある休憩ポイントだというのに誰一人もいないってどういうことなのだろうか?本当にここが三ノ塔なのかちょっと疑わしくなってきた。




しかし間もなくして後方から一人の50代らしき男がくたびれた表情でこちらに向かってきた。
今回の登山では下の石碑で出会った40代くらいのひょろっとした男以来の2人目の登山者との接触である(登山開始から3時間は経っている)。

俺はしばらく人と会っていなかったため面食らい、向こうもだいぶ疲れている様子でお互いしばし顔を見合わせていたが、
「・・・こんにちは」
と息も絶え絶えに言ってきたので俺も「こんにちは・・・」と返したのであった。

しかし彼の出現により、この場所はやはり三ノ塔であり、このルートは山頂である塔の岳に通ずるルートであることはほぼ確定的となった。
そして彼の出現以降、わらわらと登山者が湧いてきて、俺を含め三ノ塔で瞬間的には10人くらいが居合わせるかたちとなった。
みな一様に疲れた表情をしていた。どうやら本ルートもそれなりに過酷だったと思われる。
女もいわゆる山ガール的な、若い子も2,3人いた。みな男(おそらく彼氏)連れだが。恰好からして登山初心者ではない感じ。若いとはいえさすがに息を切らしていたが、なんかさわやかなんだよな。ちょっと休憩したらすぐ出発していった。

で、俺は独りで過酷な(無駄な)サヴァイバルをしてきたこともあってかなり疲労しており、しばらく三ノ塔のベンチで休んでいたが、まあ登ってくる人登ってくる人、みな一様にいっぱしの登山者である。なんかもう誰が見てもいっぱしの登山者風情。俺だけだ、全身ららぽーとで揃えましたみたいなカジュアルな恰好をしてるのは。
しかし今考えるとかなり舐め腐った格好をしていた。帽子も被っていなければストックも持っていないし、服装は見るからにカジュアルで山仕様要素はどこにもなく、ザック(最近はリュックとは言わないらしい)も高校生が通学に背負っているものよりも一回り小さいものを背負っており、かろうじて靴だけはトレイルランニングシューズを履いていたが、ほとんどの人がそれ以上の、誰が見ても登山靴とわかるものを履いていた。

とはいえ、無謀浅はかなオッサンとは思われたくないので、すでに疲労困憊汗だくだったにも関わらず、この程度の山なんてこんなカジュアルな服装で十分みたいな、涼しい顔をして足を組んだりしてベンチに座って余裕をかましている達者な登山者風情を演出していたつもりではあったが、それはそこにいた誰もが、無謀浅はかで滑稽なオッサンだということが一目で知れたことだろう。

しかしまあ、もうここが頂上でいいんじゃね感が俺の中に充足していた。自分の車を置いた駐車場から歩いてきてゆうに3時間以上は経過していたように思う。事前情報によれば、この三ノ塔というのは塔の岳山頂までの中間地点くらいらしい。つまりここから今までと同じくらいの時間と労力が掛かるということだ。とてもじゃないが、俺の全バイタリティから換算してその余力でこれまでと同じくらいの行程を登っていけるとは思えない。しかも塔の岳山頂まで行けたとしても、ロープウェイなどないからまたピストンしてこなくてはならない。今ここから引き返したって体力的にけっこうギリギリなんじゃないかと思えるほどだ。この三ノ塔からは天気が良ければ遥か遠くに塔の岳山頂が見えるらしい。もしそれが見えていたらその距離におののいて、俺はおそらく引き返していたに違いない。

結局三ノ塔には30分くらいいただろうか、ベンチに座ってだらーんとしていたら思いのほか体力がリカバリーしてきた。
周囲で同じように休憩していた登山者たちが次々に次のステージに旅立ってゆく。さっきまで息を切らしていた山ガール(彼氏付き)も60代くらいの爺さんも、誰もここで引き返す者はいない。
ちなみに次のステージというのは、三ノ塔から塔ノ岳までの、三ノ塔~鳥尾山~行者岳~新大日~塔ノ岳の行程であり、その行程には、岩場や鎖場が断続し、崩壊が進んだ痩せ尾根を歩くなど、この表尾根ルートと呼ばれるルートのハイライトになる行程である。
今までろくに登山などしたことのない俺も、鎖場とはなんぞや、尾根や稜線とはなんぞやという少なからずの興味があったわけであり、それらを目前にして、それらを一目すら見ずにして引き返すというのもどこか後ろ髪を引かれる思いであり、また、疲れ切った顔をした全身ららぽーと男が、みなが次々に次のステージに旅立ってゆくのを横目に逆流して下山していくというのもなにか悔しい。
疲れていることには変わりがないが、案外体力が回復してきたというのもあり、他の登山者の流れもあいまって、俺の足は自然ともと来た道ではなく、次のステージの方に向いていた。
そして三ノ塔の小屋を背にし、真っ白い深い霧の中へと消えていった。


IMG_1407.jpg




(つづく)



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2017/09/19

惨敗の夏

前回の池袋出撃後、再び池袋、それから錦糸町と、デリヘルやら派遣型リフレやらに数回突撃したが、まあとにかく酷かった。
その中にはいわゆるドム、ピグモン、馬ヅラなどもいた。
金だけ渡してそのまま帰ってもらった奴も2人いる。
ドムはホテルのチャイムが鳴り、俺が「どうぞ」と言うと、まずドアを半分だけ開け、おかめ納豆のおかめみたいな顔だけがその半分開けたドアからぬうっと現れてこちらを数秒ジッと見、「いいですか・・・?」などと言うのだ。
俺は唖然とし、「お、おぅ」などと曖昧な返事をすると同時にすぅっと滑り込んできた体はいうまでもなくドムだった。言うなれば和風ドムといったところか。

ピグモンはデリヘルでネットの写真と180度違う女だった。ドアを開けたらそこには豚ピグモンが立っていた。ギャルメイクをした豚ピグモン。悪いがちょっと長い時間直視できないレベル。腹はおまえ身籠ってるのかというレベル。さすがの俺もこのときばかりはキレた。

俺「あ?おかしくね?写真と全然違うだろ?本当に本人?」
女「違うって言われても・・・」
「どうやったらその顔からあの写真が撮れるんだ?あ?」
女「・・・・・」

チェンジ、もしくはキャンセルを申し出たが、それはできないというので店に電話して写真と全然違うのが来たからって再度チェンジ、もしくはキャンセルを申し出たが、HPに書いてある通りそれはできない、でもその子いい仕事はしますんでとかぬかしてくるから、いや、そういう問題じゃないだろ、などとちょっとした言い合いになった。そもそも最初にこの店に予約の電話をしたときに対応したのがババアで、俺が「今そちらのHP見てるんですが、〇〇ちゃんいますか?」って言ったらそのババアが「え、ええ、いますよ」とかなんか曖昧な感じだったから怪しいなとは思ったのだが、その悪い予感が的中、おそらくこのHPにある写真の女の子はどれもこの店には実在しないのであろう。このピグモンと他1匹か2匹の物の怪でまわしているのだ。これ以上はもうどうにもならなそうなので、そのまま女、いやピグモンを放流した。もちろん金は払った。

馬ヅラもデリヘルだが、これは錦糸町の案内所経由で予約したにもかかわらず、ブラジル元代表のロナウジーニョをさらに馬ヅラにしたような女がきやがった。その馬ヅラが来たとき俺はもう言葉を発する気力すらなくなり、自分の不運さを呪った。その馬ヅラとはとりあえずプレイしたが、その馬ヅラの裸を見たり一緒にシャワーを浴びたりしたところでいっこうに勃起などしなかった。勃起するどころかある種の恐怖で逆に縮こまってしまっているくらいだ。

まあしかし来る女来る女・・・たとえばその辺の街中で適当にブラブラしてたってなかなかお目にかかれないような物の怪ばかりがドアをノックしてくる。これはなにもブログだからって面白おかしく大袈裟に書いているわけではない。本当に金を払ってでもお引き取り願いたい異界の者たちばかりが俺の部屋のドアをノックしてくるのだ。

最近俺は感じるのだが、ひと昔前に比べて、出会い系や風俗の女の質が目に見えて低下しているように感じる。それには色々理由が考えられるが、まずひとつは単純に若者の人口がとにかく激減してしまったこと。1992年に205万人いた18歳人口が、2014年には118万人にまで減ってしまった。約半減だ。90年代なんて俺なんかからしてみればついちょっと前くらいの感覚だから、いかに若者の人口が急激に減っていったのかがうかがえる。人口が減れば当然、かわいい子の数も減る。

もうひとつは、女が出会い系や風俗に手を出す理由としては、性への興味と金があるだろうが、前者は、今や様々なSNSや出会い系(主にピュア系)があるため、なにも好き好んで見ず知らずのオッサンを相手にする必要がなくなったのと、後者は、リフレやらオナクラやらマッサージやらのソフトサービスから通常のヘルスまで、デリヘルの多様化のし過ぎと店数の増え過ぎでただでさえ玉数の少ない並~かわいい子が分散してしまっているからだろう。
俺が風俗や出会い系に手を付け始めた90年代後半から2000年代前半あたりまでは、風俗や出会い系にも、普通にかわいい子ってのがそこそこいたものであるが、今はそういうのに巡り会うのがけっこう難しくなっているように思えるのは気のせいか。

それからこの夏俺は5年振りくらいにキャバクラにも行った。2件行ったが、どちらも酷かった。デリヘルでこの女が来たら思わずチェンジの呪文を唱えたくなるようなのばっかり付いた。おまえお笑い芸人になった方がいいよ、ってレベルの女もいた。というより店全体の女がどれも正直ヤリたいとも思えない女ばっかでテンションだだ下がりだった。
キャバクラで近くにいてほしくない女しかいない店ってのも終わってるだろう。1時間半もいればデリヘル1回分くらいの料金が掛かるくせにデリヘル嬢以下の女しかいないとか終わってるとしか言いようがない。せめてまともなつまみでも出せと言いたい。

なにかここにきて、女問題がちょっと深刻になってきているような気がしている。いや、結婚などとっくに諦めているのでそういう問題ではなくて、女体欲求解消という面においてだ。
ネット社会が成熟し過ぎてしまってそれが仇となり、規制やらなにやらも含めネットを活用した相手探しが逆に難しくなっているように思える。写真も修正し放題でほとんどアテにならない。
情報が溢れすぎてしまって、どれが真実なのかもよくわからなくなってきている。
金もとにかく掛かる。割高なデリヘル代 + ホテル代を支払って、ドキドキして待っていてもドム、ピグモン、馬ヅラばかりたて続けにきたらそりゃトラウマにもなる。

この夏は久々に女のために散財した。しかもどれもが不発に終わり、欲求不満とストレスばかりが溜まった長雨の夏が終わった。
そしてちょっと難しめの課題だけが残った。



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2017/09/04

IWGP

これだけネット社会が拡がり、ソーシャルメディアの発達、スマホをはじめとするそれらにアクセスするための端末の普及が、これだけ発展、もはや円熟期に入っている感すらあるのに、皮肉なことに出会い系は衰退の一途を辿っているかのように見える。
明らかにひと昔前、ふた昔前より出会えない。つながらない。
原因はとにかく規制されまくってるという現状と、あとは出会い系ツールが色々あり過ぎてよくわからない、分散しちゃっているということだ。
それに拍車を掛けてひと昔前、ふた昔前に比べてケタ外れに若者の人口自体が減少してしまっている。
よくネット記事なんかで若者の〇〇離れというのを見かけるけど、あれは若者がそれに興味が無くなっているというより、若者の絶対数が減っているからにすぎないのは明白だろう。

さて、前回の女を放流後、俺は別の日に久しぶりに池袋に繰り出していた。ちょうど2年振りとなる。2年前の夏にも最近の池袋の風俗界隈はどんなもんじゃろ、と伺った次第だ。
2年前に行ったときも久しぶりの池袋だったわけだが、そのときなぜ行ったかというと、リラクゼーション系マッサージにちょっと興味があったからだ。リラクゼーション系マッサージといってもヌキ有りマッサージで、むろん最後までヤるつもりでいったがあえなく撃沈した。
というか、その時の嬢が、別にブスではなく普通の20歳くらいの女の子って感じだったのだが、あり得ないくらいテンションが低く、まあツンデレというか、いや、デレの部分が一切無かったからツンデレではないな、ツンツン女であった。
終始ムスっとしてるというか、話掛けても反応無しというか、まあ出会い系で会った女ならそういうのがいてもしょうがないってなるが、店から派遣してきてそういう態度はちょっと勘弁して欲しいものだ。

で、それはいいとして、今回は主に出会い系のためにわざわざ池袋にやってきた。あとは池袋界隈の風俗調査、立ちんぼ調査も兼ねてだ。もうとっくに出会い系は死んでいるとはいえ、都市圏ではそれなりに募集はあるみたいなので(まあ9割り以上は業者だが)、もう業者でもなんでもいいんでピチピチギャル(死語)と1発ヤリたい、ヤラせてくれ!って感じではるばる池袋に来てみた。


池袋に着いたのは15時16時過ぎあたりだろうか、とにかくまだ糞暑かった。ペットボトルの水を片手にまずは北口方面をうろつく。
相変わらず人が多いには多いが、ひと昔ふた昔前に比べてなんというかいまいち活気が感じられない。ロマンス通りやらの繁華街からホテル街方面も流したが、こちらもひと昔ふた昔前に比べてなにかこう、精気というか熱気というか色気というか如何わしさというか妖艶さというか、カオス的な、そういったものが感じられなくなった。なんつうか、東京を代表する繁華街のひとつでありながら、斜陽しつつある地方都市のような感じになりつつある。
色々規制が入って呼び込み、声掛けが禁止になったことや、若者の減少、元気のなさなどもその一因になるだろう。
いわゆるギャル、ギャル夫みたいなのがほぼ絶滅したから、常にバカ騒ぎしてるような元気のいい若い連中もいなくなった。よくいえば静かで落ち着いた、悪く言えばありきたりのそこらの地方繁華街になり下がった印象だ。

逆に東口側のサンシャイン通り方面にいくと、こちらも夏休みってこともあって人の数こそかなり多いが、耳に入ってくるすれ違う人々の飛び交う会話に中国語が混ざっていることが多い。よくよく人々を観察すればなるほど、中国人ぽい人が多いのに気づく。ここにいる人々の半数くらいが中国人なんじゃないか、というほどだ。
そして若かりし頃よく行ったゲーセンなどを覗いてみると、もはやほとんどメダルゲームとUFOキャッチャー、少々のプリクラしかない。普通にビデオゲームみたいなものはほとんどない。なのでゲーセンに行ってももはやゲーマーはいない。
パルコの下にあるニコニコ本社とかになっているところも、昔はゲーセンだった。レトロゲームなんかも多く、池袋に来るとよく行ったものだ。
俺が若かりし頃は、繁華街にあるゲーセンは俺のオアシスであり拠点であった。俺はそこそこゲーマーだったから、ゲーセンさえ入ればなにかやることが見つかったし、対戦相手にも巡り合えた。ちょっと一息ついたり、これからこの街でどうしようかなど戦略を考える際にもよく利用したものだ。
現在はそのようなオアシスが壊滅しつつあるのは寂しいかぎりだ。街にあるどこか雑多なカフェ、もしくは静かで落ち着いたカフェでコーヒーを飲みながらケータイやらスマホを眺めているよりも、俺の場合ゲーセンで缶コーヒーを片手に他人のプレイを眺めたり、ときには自分もプレイしたりしてダラダラ過ごしている方がよっぽど落ち着けたし、いくらでも時間を潰すことができた。

そんな物思いにふけりながらも、立ちんぼスポットと言われる場所や北口方面のホテル街などを徘徊しつつ、出会い系にチェックを入れる。まずたちんぼスポットと言われていた場所は、そのような雰囲気はほぼ皆無。ホテル街付近ですらそのような女はまずいない。たまに見かける一人で歩いている女はほぼデリヘルの派遣途中もしくは帰り。一人でホテルに出入りする姿はまるでOLが会社に通勤する風で堂々としたものだ。
それから気になったのが、北口のホテル街のあんな細い道をパトカーが頻繁にぐるぐる巡回していることだ。ロマンス通り周辺でも警官のオッサンが交差点のど真ん中に突っ立って拡声器を使って非行防止みたいなことを訴え続けているし、ここまで警察の目が過剰だとロマンスなどはまず生まれなさそうだ。
この場所だと普通のナンパすらアウトっぽい。

そうこうしているうちに時間は刻刻と過ぎ、6時も回ってきたのでそこらの公園のベンチに座り本格的に出会い系活動開始。
自らの募集と同時に掲示板募集のめぼしいものに手当たり次第メールしていく。
さすがに郊外とは違って募集数、反応数も多い。それだけ業者が多いってことなんだが。
まあもはや業者でもなんでもいい。若くてかわいくてヤラせてくれればなんでもいいんだよ。
とはいえ俺の場合事前写メチェックは必須なので必ず要求するわけだが、相手が業者の場合(まあほとんど業者だけど)、今空いている女が常時変わる、もしくはその場所に都合のいい女などをあてがう理由などなのかわからんが、写メの要求に応じない業者の方が多い。しかしそれだと業者も商売あがったりなので、最近では一応写メは送ってくるが、わざと修正を入れたような写メというか、どうとでも取れる顔、ありきたりの顔の写メを送ってくることが多い。
たとえばギャルメイクの写メを送っておいて、いざ来る女はその写メの女ではなく、その女と似たようなギャルメイクの女が来たりする。
あくまでも似ているのはメイクだけで、実際そこに立っているのはドムやらゲルググやら物の怪だったりする。
なので、写メを2,3枚見せてもらって(相手が業者の場合ほぼ不可能だが)、これは安全パイだというそこそこの自信がないかぎり、待ち合わせ場所に自分が先にいるというのは危険である。
別に断ればいい話だが、断るという行為自体、こちらも正直いい気はしない。そのシーンが焼き付いてトラウマになったりもする。
なので遠目で観てドムだとわかればもうそれ以上見ずにそのドムが記憶にインプットされる前にそそくさとその場を去るのが正解だろう。

それで話は戻るが、池袋での募集で片っ端からメールを送るとすぐに数件から返信がきた。
その募集内容、返信内容、写メを送ってくれと言った後の反応などすべて業者であることはもはや一目瞭然なのだが、こういう大繁華街のいいところは、人通りが半端じゃないため、待ち合わせ場所に自分より先に女を立たせ、隠れ面接が容易におこなえるということだ。
だから、業者のお決まり文句のひとつである「会ってから判断してね」的な案件でも案外気軽に面接をおこなえる。

で、今回も返信が多いとはいえ、あまりめぼしいものもなかったので、時間も時間だしとりあえずこの会ってから判断案件の女に会ってみることにした。
待ち合わせ場所は業者らしく、即向こうから指定してきた。池袋西口公園の前にある、とある店の前だ。
例によってむこうはこちらの服装を聞いてきた。もちろんボカシを入れる。向こうも特徴を言ってきた。しかもご丁寧に赤いバックを持っているときたもんだ。これはこれだけ人が多いからあえてわかりやすいようにとの業者のやり方なのだろう。

そしてその時間指定近くに池袋西口公園に着いた。もう夜の7時半近くだ。相変わらず人が無駄に多い。公園の中心部で2,3人の外人がギターかなにかをもってわけのわからない歌を歌っている。そしてその周りにはたくさんの人。別に外人の曲を聞きにきているわけではなくほとんどは待ち合わせとか喫煙エリアがあるからタバコを吸いにきてるだけとか、座ってスマホをいじくってたりとかそんな感じだ。
あとは外人も含め、怪しい眼つきをしたようなバイヤーみたいな連中もちらほらいる。雑多で下品な公園といった感じであまり長居はしたくない場所だ。

とはいえそんな環境がいい隠れ蓑となり、隠れ面接には絶好の場所だ。もう着いただの着かないだのと数回のメールのやり取りを終え、その女は現れた。
予告通り赤いバックをもってやがるからすぐにわかった。しかし意外にもドムやゲルググといった感じではなく、どちらかというとギャンといった風であるが、顔が東南アジア風の濃い顔つきのような感じがする。遠目ではあるが、遠目で見てイマイチな女が近くに行ってみたら可愛かったということはほとんどない。その逆はある。この目はストリートナンパにより培われた。
つまり遠目で観てブサイクであれば近くで見てもほぼほぼブサイクであるということだ。行くだけ無駄だ。その後トラウマになったりするので精神衛生上もよくない。

こうなればもう、待ち合わせ時間きっかりにこの女を出会い系サイト内にておもむろに「無視リスト入り」するだけだ。そうすると向こうもそれに気づき無駄な待ちをせずに済む。あんた見事に面接に落ちたんだよと知らせてやらねばならん。これがせめてもの思いやりというものだろう。
というか業者であれば業者としてもこれが一番効率的だと思うのだが。郊外だとその待ち合わせ場所にこっちが来てるのを確認してから女を来させるってところが多いけど、会ったところでドムやら物の怪だったらそんなもん断るわけだし、そういうやり取りしてる時間やらお互い嫌な気分になるのが無駄だと思うのだが(断ればたいがい女はムッとした感じになる)。
さりとて待ち合わせ場所にわざわざ出向くのは時間の無駄だし郊外だとガソリン代やら高速代やらけっこう掛かるので、こちらとしては書類選考(写メ)でパッパと選別するのが一番効率的であり手っ取り早いんだけどな。まったく業者って奴は実に馬鹿だ。

その後はもう活動する気力も体力も無くなっていたので、ああ、これから電車で帰るのかったるいなと思いながらも福しんにてラーメンチャーハンセットとビールセットを注文して、やはり福しんは安くて旨いなあなどと思いながら、蒸し暑い夏の夜の池袋駅に吸い込まれてゆくのであった。



孤独地獄男を応援してみよう
2017/08/21

塔ノ岳は二度死ぬ(登山編その3)

とにかく木の根の階段を登っていくしかなかった。
さっきまで定期的に出てきた木札の標識も現れなくなった。
というより周りに人工物と呼べるものは無くなっていた。
木の根の階段もより一層厳しくなり、いつのまにか手を使いながら登るようになっていた。

俺は昔20代の頃好奇心で友人と富士山の樹海に入ったことがあるが、真昼間でも山に入って短時間で遭難する感覚というのをその時体感していた。一応獣道のような、歩けるところを歩いてきているのだから帰りはただそこを引き返せばいいじゃないか、とたいがい思うところだが、しかし樹海では中に入って歩いてものの15分やそこらで外の音は遮断され、周りの景色は一様に同じように見える。
そして後ろを振り返れば、獣道と認識して歩いてきたはずの道は、360度似たような獣道だらけのうちの1本にすぎなかったことに初めて気づく。つまりそれは道でもなんでもない、なんの方向性も示さない樹海の風景の一部にすぎないのだ。
そうやって樹海ではいとも簡単に遭難できる。もちろん俺らはその時、木に目印やらスズランテープやらを持って入るなどそれなりの準備をして入ったわけであるが。
一応俺にもこういった経験があるので、山ではいとも簡単に遭難に陥ることは少なからずわかっていたので、これはいよいよ方向性がわからなくなってきたな、と思ったら素直に下山しようという心積もりは持ち合わせていた。

なので、フゥーフゥー夢中になって登りながらも、絶えず後ろを振り返り、今来た道に風景の変わりがないこと、諦めたらそのまま引き返せば元の場所に戻れることを確認しながら登っていた。
とはいえ装備面、事前情報等無謀なことには変わりはない。その辺は重々承知の上で今このブログを書いている。
なのでこのようなマネはしないでいただきたい、と一応断りを入れておく。

さて登山の話に戻そう。この木の根の階段ていうのがとにかくいつまでも続く。そして階段ていっても天然の階段だからその高さの幅が当たり前だが一定ではなくけっこう高いところをよいしょ!と登らなくてはならないところやら、もう折れそうな根っこが踏み場になっている段差を注意しながら登ったりととにかく疲れる。これだったら高台にある神社なんかの何百段とかの階段を登った方がはるかにラクだろう。

しかも依然としてここは登山道じゃないんじゃないだろうか?という疑念は晴れない。後ろを振り向いてもいっこうに登山者の姿は見えない。最近の登山者はけっこう高齢者もいるみたいだが、こんなアドベンチャーしながら登ってこれるのか?と思う。
そして息切れがハンパなくなってきた。少し登ったら休まなくてはならなくなってきた。さらに登る気はあるのに、太腿が上がらなくなってきた。意思とは裏腹に思うように力が入らないのだ。普段慣れていないこのような連続した登り階段を連続して登ったものだから、太腿の筋肉のグリコーゲンとやらが枯渇した可能性がある。

それでもなんとか休み休み、ごまかしごまかし登っていくと、ここであまりにも衝撃的かつこのシチュエーションで見たくない看板が立っていた。

「この先は登山道ではありません。ここから先には行かないでください。」

と書かれていた。
やはりそうだったのだ。俺はどこかの地点で登山道ではない獣道に入ってきてしまったのだ。
俺は頭のどこかでそれを薄々感づいていながらもごまかしごまかしここは登山道なのだ、なぜならここにくるまで標識通りきたからだ、分岐点らしきものはなかったはずだ、と自分に言い聞かせ、ひたすらに木の根のみで形成された階段を登ってきた。

とはいえ、であれば、もっと先に少なくとも木の根階段に差し掛かる前にこの看板立てとけよ、もう危険な思いして相当登ってきちまっただろうがアホが!と見えぬ小鳥のさえずりしかしない静かな山中で独り憤りと虚無感を覚え、もはやこれまで、初一人登山失敗、潔く撤収しよう、と思った。
ちなみにあまりにショックだったため、この立て看板の写真を撮るのを忘れてしまった。

今まで散々野放しだったくせにここに来てこうやって唐突に「この先には行くな。ダメ、絶対。」とか言われると今までは感じなかった冷酷な恐怖心が沸々と募る。そして今まであえて考えないようにしていたかもしれないkumaとかいうクリーチャーの存在が脳裏を横切る。

今ここでクリーチャーに出くわしたら、すでに疲れきって息が上がっている俺はなんの抵抗もすることなく、なすがままにされるだろう。そして昔観たジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画のように、自分の太腿やら内蔵やらをこのクリーチャーにえぐられ喰われるのを見ながら、俺は丹沢の風となるのだ。

でもなんか諦めきれない、というか腑に落ちないというか。まあ確かに足元を見ればすでにそれは山道というにはあまりにも野性的、超自然的ではあるが、しかし木の根階段以前にそれらしい別の道があったようには思えず。でもまあ遭難てのは得てしてこうやって遭遇するんだろうな・・・

そしてもう一度その立て看板を見てみる。・・・・・・ん?これってもしかしてこの立て看板の裏(見ようによってはわずかに獣道らしきものになっている)には行くなよ、っていうことなんじゃないか?とちょっとポジティブに考えてみる。とはいえ、これまできた木の根階段のその先はその先でもはや崖状になった垂直木の根階段みたいになっている。うーむどうしたものか。


(つづく)



孤独地獄男を応援してみよう
2017/08/15

出会い系の夏

夏になると40歳を越えたオッサンでもなんかムラムラしてくる。
実はここ2年ほど女体には触れていないのだが、この夏は久しぶりに女体とのコンタクトを取りたいと思った次第だ。
で、そのコンタクトの方法だが、ひと昔前までなら出会い系か風俗の2択が考えられたが、今はとにかく規制が入りまくって出会い系が死んでいる。一応出会い系自体は存在しているのだが、昔のように素人とコンタクトが取れることはなかなか難しい。

昨今の出会い系など100%援なのはいうまでもないが、それでも素人で若くて並以上のルックスであれば全然問題ではないのだが、現状はデリヘルでも面接落ちするような、もしくはなかなか指名が入らないような女がその業者を通してもしくは自ら営業を掛けて出会い系サイトを利用している有様だ。

いや、最悪業者でもいいんだよ、若くて並以上のルックスであれば。しかし待ち合わせ場所でそういう女が立っていることはまずない。
向こうもドタキャンを警戒してこちらの服装やら車種やら細かに聞き出し、場所も〇〇市〇〇町〇丁目のファミマ、みたいな感じで、こちらが地図で調べないとわからないような地域的限定をしてくるのが特徴だ。自己紹介等で貼られている画像もまず本人のものではない。

で、いつか記事で書いたかもしれないが、今はもはや出会い系よりもデリヘルの方が手っ取り早く時間効率もよく嬢の質も安定しており事前にある程度のルックスが判断できるので、今回もとりあえず一通りネットでデリヘルをチェックしたのだが、なにかこうピンとくるような嬢はいなかった。
それである出会い系サイトにてまだポイントが残っているものがあったので試しにそれを使ってみることにした。

案の定、状況は2年前と同様もしくはそれより悪化している感じだった。デリヘル嬢崩れによる営業掲示板と化していた。
とりあえず自ら募集を出してみたが、これも2年前よりも規制やらNGワードやらが厳しくなっているようで、アダルト版の出会い系でしかも金銭を匂わすような、もしくは体の売り買いを匂わすようなワードを入れてないにもかかわらずNGになって募集停止になっていたりする。

募集掲示板の方ももう業者かどうかなどというのはすぐわかる。文面もだいたい似ているし、画像も撮り方がだいたい似ている。そして人工的にかわいい。(その本人が来ることはまずない)
でもまあそんなことはわかりきっていることなので、とりあえず自分の募集を出しつつ募集掲示板をチェックするというかたちを数時間続け、夜になってもそのまま続け、ある若そうな女とコンタクトを取った。
この女も文面、画像、地域的限定待ち合わせなどでまあ90%以上は業者だろうなと思った。服装やら車種やら色やらしっかり聞いてくる。俺もまあそこはある程度場数を踏んでいるので、少し的を外した回答をしておく。相手の正体がまったくわからない以上、いつでも逃げられる、バックレる態勢は取っておかないと危険だ。

とりあえず準備をし、相手が指定してきたある国道沿いのコンビニに向かった。
国道沿いのコンビニというのは案外厄介だ。遠目からコンビニを観察するだとかとりあえず別の場所に車を置いてみたいなことがやりにくい。
しょうがないからそのコンビニの駐車場に停め、到着メールをし、女を待った。
このコンビニの駐車場は割と大きめでしかもすでに車が7,8台停まっていた。
この車のどれかが業者の車でそこからこの女が降りてくるのか?とも思った。
とにかくまあ声などの確認もできないので、どんなのが来るのか、ヤバいのが来るのか、この待ってる時間は結構ドキドキものである。

ほどなくして女が歩いてきた。今時ではその辺ではあまり見かけない金髪に近いような茶髪ギャルだった。
ショートパンツを履いており、お世辞にも細身とは言えないがドムというわけでもない。上がなんかダボっとしたYシャツのようなものを着ており、上半身の太さがよくわからないが、顔も少しポチャっとしてる感じから体型もポッチャリしている危険性が高い。
まあどちらにしろ俺は今となってはギャルは好みではないし、ポッチャリ系も好みではないので放流方向に心が傾いており、隙をついてそのままバックレようかと思ったが、その女がこちらに向かってる途中である男が車から降りてきてその男となにやら話始めやがった。
うわ、思いっきり業者じゃねえかこいつ、変にバックレでもして追いかけられてきても面倒だな、と思い観念してその男とのやり取りを終えて女がこちらに向かってくるのを待った。

女はほとんど躊躇することなく俺の車の助手席のドアを開けて乗ってきた。
躊躇もためらいもない、いつも通りな感じで乗ってきた。業者は確定的だ。

「今知らない男からいきなり声掛けられてきてめっちゃ恐かったんだけど」
と女は言った。

俺「え、あの人知り合いじゃないの?そっち業者じゃないの?」

女「違うよ、なに言ってんの?全然知らない人だよ。美人局(つつもたせ)とでも言いたいわけ?」

俺「美人局とはまた粋な言葉知ってるね」

女「なに粋な言葉とか」

だのとどうでもいい会話をし、まあ実際あの男は本当にこの女には関係のない男だったのかもしれないが、そんなのはどうでもよく、結局この先も業者特有のトークで
「今日あんまり時間がないんだよね、長くても1時間くらいかな」
だの
「ホテルはここ曲がってあっち」
だの
「車の中でも大丈夫だから」
だの
「そこらの駐車場に停めてヤッてもいいから」
だの、興ざめ&業者トークオンパレードで、さらにいくら若いとはいえ、ポッチャリ系+金髪+サバサバ系の女は俺のもっとも苦手とするタイプですでに放流モード全開だったわけだが、そのままホテルの前を通過してどうしようかなーとか言っていると、
「え、何してるの?ホテルいかないの?こうしてる時間もったいないじゃん。やめる?いいよ別にやめても」
とか言いやがるので、内心「ヨカター」と思った俺は「じゃあやめよっかなー、やめるわ」と言ってめでたく放流性交いや成功となった。

まあとにかく今の時代、オッサンが金をかけたところで素人と出会ってセックスするのはなかなか難しい。ヤリたいからってただソープに行ってヤるだけでは真のセックスの快楽は得られん。とはいえ婚活サイトやら婚活パーティみたいなのでだらだら付き合ってどうのこうのみたいな、ラインのやり取りやら毎週末デートみたいな面倒なことは今更したくない。
いやそんなのはしょせん恋でも愛でもないんだよ。妥協した時点でもう真実の恋でも愛でもないんだ。
恋愛ってもんはな、妥協とかじわじわとかいつの間にかなんとなく好きにとか、そういうもんじゃねえんだ。
恋ってもんは落ちるんだよ、思いがけなく落ちる。事故のように突然落ちる。フォーリンラブだ。
それは別に素人じゃなくてもいいんだ。デリヘルでも遭った瞬間に波長が合うか合わないかデキるかデキないかがだいたいわかる。
いやむしろ素人で底なし沼に落ちて泥沼化するよりも、デリヘルで一時のフォーリンラブの方がよいかもしれん。
いや、たぶんそっちの方がよいと思う。泥沼化する前にその嬢がいなくなっているくらいがちょうどいい。後腐れがないってのも大事。いい思い出だけで終わる。悪くない。



孤独地獄男を応援してみよう
2017/07/14

塔ノ岳は二度死ぬ(登山編その2)

「・・・こんにちは」

その登山者らしき40代くらいのひょろっとした男が俺を見て挨拶してきた。
「こんにちは・・・」

俺も挨拶した。この男は服装が俺とは違い山仕様であり、トレッキングポールもしっかり持っていて、このあたりの様子を一通り見ているようだった。
俺は、ヤビツ峠からかれこれ1時間以上歩いてきたので、あの石碑の上で座って休憩しようと思った。
しかし石碑に行ってみると大きいザックが立てかけてあり、この人のだろうなとちょっと座るのを躊躇していると案の定この人が戻ってきて座り休憩していた。
おそらくこの人もこの三差路だか四差路の他のルートから俺と同じようなタイミングでここに来たのだろう。
なんか他に人のいないこの狭い石碑の上で二人っきりでここに座るのも嫌なので、俺はとりあえずこの周辺を見回してみることにした。
この三差路だか四差路には一応標識が立っているのだが、分岐が多い上にこの標識の方角がどちらとも思えるような微妙な方角を示していたので、はてどの道を行ったらいいものかとここで悩むことになってしまった。

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石碑に座っている男に聞けばいいわけだが、なにか色々な意味で恥かしさがあり、また話掛けて今後登山中で度々顔を合わせた時になんとなく気まづくなるのも嫌だなと思い、とりあえずこの場所でスマホ(圏外)でも弄りながら時間を稼ぎ、この男に先に行かせてついていくことにしよう、と思った。

ほどなくしてこの男は休憩を終えて立ち上がり、獣道のようなところを登っていった。

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いや、俺ももしやここでは?とは薄々思っていたものの、あまりにも獣道であり、一応人が登っていけるような感じにはなっているが、なにか林業用とか、地元の人用の道かと思っていた。
標識の向きも曖昧で、二つある標識の下が「三ノ塔」と書かれているのだが、これがどちらを示しているのかがよくわからない。ここがこの獣道とまっすぐの道しかなかったらわかるが、このほかにも2本アスファルトの道があり、こっちだろうなって道があまりにも獣道だったので、ここはさすがに迷い、この男に頼った次第だ。

でもまあこの男が先陣を切ってくれたおかげでこの道は登山道なのだな、ということがわかり、とりあえず俺もこの石碑の上で10分ほど休憩し、この男に続いた。

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これまでのアスファルトの歩きやすい道からガラリと風景が変わった。一気に山本体に入り込んだな、という印象を受けた。
そして危険度も一気に増した。足場も悪い上、なにかブンブンうるさいなと思ったらすぐそこにスズメ蜂だかのでかい蜂の巣があったりした。
そして木々の間を縫うようにしてひたすら昇りが続き、登るほどに山の形相は険しくなり、俺の息は上がっていった。



先陣を切った先ほどの男の姿が見えないので、さすがだなあ、だてにトレッキング仕様の恰好をしていたわけじゃないな、と思っていたが、先ほどの石碑のところから30分くらい登ったところでその男が倒れた木の上に座って休憩しており、
「・・・あ、ごくろうさまです。。。」
などと言ってくるので俺も
「お疲れ様です・・・」
と返した。
俺はその男の前を通り過ぎ、黙々と登っていった。

しかし行けども行けどもいっこうに拓けたようなところに出る気配もなく、それどころか山道はどんどん険しくなっていっているように思えた。

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そしてついにはこれまで人工的に階段状に区切られていた木ではなくなり、その階段状に区切られていた木がいつの間にかただ木の根が折り重なって一見階段状に見えるようになっているものになっていた。

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さすがにちょっとこれは一般的な登山者が登る登山道ではないのではなかろうか?そもそも登山道なのか?ハァーハァーゼェーゼェーと息を切らして必死に登っているうちにどこかで分岐を間違えて本当の獣道に入ってしまったのではないか、と思った。



とりあえずここいらで休憩を取り、さっきの男が登ってくるのを期待した。しかしその男はいっこうに姿を見せず、その後もその男を見掛けることはなかった。
あの男は見掛け倒しであの後下山したのだろうか?それとも俺を騙すためにあえてあそこまで登ってみせたのか・・・?!

一気に心細くなった。あの男どころか他の登山者も後にも先にもいっこうに姿を見せることはなかった。
とにかくひたすらに山の静けさと見えない小鳥のさえずりだけが、ただそこにあった。


(つづく)



孤独地獄男を応援してみよう
2017/07/12

塔ノ岳は二度死ぬ(登山編その1)

登山当日は朝5時半頃出発した。
登山コースは表尾根コースと言われる、ヤビツ峠→ニノ塔→三ノ塔→行者ヶ岳→塔ノ岳山頂というコースだ。
このヤビツ峠から塔ノ岳山頂に登るルートは、数ある丹沢山系登山ルートの中でも人気コースのひとつらしいのだが、バスでヤビツ峠まで来た人は塔ノ岳山頂から大倉尾根コースなど別のコースで下山できるが、俺のようにマイカーで来た人はピストンするほかない。
東名高速を西に行き、途中海老名SAで朝食用のおにぎり1個と山頂での昼食用のやきそばとおにぎり1個を買った。

最寄りICである秦野中井ICには7時過ぎ頃着いた。高速を降りると、小中学生が登校する姿をちらほら見かけた。
秦野中井ICからヤビツ峠までは車で20分ほどで到着した。

ヤビツ峠


この閉まっている売店の前にわりと立派なトイレと30台くらい停めることができる駐車場があり、とりあえずここで用を足し、この先にも駐車場があるみたいだが、昨日ブログを眺めてたらここに車を停めてここから登山口まで歩いて行っていたブログがいくつかあったので、この先の駐車場が満車だと面倒なので、俺もここに車を停めて行くことにした。

このヤビツ峠までは車でほぼ登りのみだったのだが、この駐車場からとたんに下りになった。
まあ峠というもの自体、後でWikipediaで調べてみたら、「峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所。」らしいので、まさにといか、これこそ峠であり、間違っていないのだろう。
しかしその時の俺は、歩きながら、せっかく登ってきたのにこんなに下ってきていいのだろうか?さっき横道(柵あり)があったけど、あっちだったんじゃないだろうか?と多少不安になっていた。
でもまあ俺にはスマホがある。こいつで昨日見たブログだのgoogle earthだのyahoo!地図だので調べれば大した問題でもなかろうとたかをくくっていたのが、ここで重大かつ致命的かつ基本的な認識ミスを犯す。おもむろに開いたスマホの画面は圏外だった。
いや、圏外の表示が出た瞬間、「しまった・・・・・・・・・・・・・!」「そりゃ、だよね・・・・・・・・・・・・・!」と即納得した。
あまりにも平地に慣れ親しんでしまっていた生活をしていたため、すっかり忘れていた。
そこそこの人里離れた山間部などにいけば、スマホはネット機能はもちろん、普通に電話としても機能しなくなる可能性はいまだもってしても大だということを。

しかしまあ、基本スタンダードな登山道を登っていくだけだし、標識通りに歩いていけばなんとかなるだろ、と思っていたが、20分くらい下って歩いてもなかなかそれらしき標識が出てこず、やはりさっきの横道(柵あり)が正解だったのか、ここからまた戻って登っていくの面倒だな、もう山登りしないで帰ろうかな、とか色々考えていたところにそれらしき標識と上り坂が出現。

見晴らし橋


どうやらこれが登山口に繋がってるっぽく、とりあえずホッとする。
しかしこの安堵感がのちに致命的なミスにつながろうとは思いもしなかった。
俺はもうなんの疑いもなくこの緩やかな坂道をうっすらと心地よい汗をかいて登っていった。

先ほどの画像の場所から30分は歩いただろうか、見覚えのある駐車場に到着する。菩薩峠の駐車場だ。
見覚えのあるというのは、前日に塔ノ岳登山について検索していたときに誰かのブログでここに車を停めて登山したものがあったからだ。そして柵を越えて林道を歩いてくようなことも画像とともに記事にあったので、俺はなんのためらいもなくこの駐車場の先にある柵を越えて歩いて行った。

菩薩峠


しかしヤビツ峠から塔ノ岳を登る登山口は、実はこの菩薩峠の駐車場の手前にある。
それは下山したときに知ることになる。
しかし今の俺にはそんなことは知るよしもなくどんどん進み、途中で相模湾と思わしきビューポイントも出てきたりして、俺の中ではとっくに登山が始まっていた。

相模湾


だが、登山が始まってるにしてはなんというか、いまだに歩いている足元はアスファルトのままで、さらには平日とはいえ人気コースと言われている割にはいまだ1人も他の登山者に会っていないし、後ろから来る気配もない。
とはいえ、この前の高尾山なんかと違って誰でも気軽にこれるようなところでもないし、こんなものなのだろうとさほど不自然に感じることもなくどんどん歩いていった。
しばらく行くと道に柵があり、その先は道が少し拓け、なにかの碑が立っていた。
そしてそこでようやく登山者らしき人に遭遇した。

碑


(つづく)



孤独地獄男を応援してみよう
2017/06/28

塔ノ岳は二度死ぬ(準備編)

先日の高尾山登山が思いのほか楽しく、また登山はこれからジジイになっても気軽に一人でも(ここ重要)できる趣味・スポーツなのではないかと思い、今度は一人で別の山に登ってみようと思った。
そこで次に登る山はどこにしようかということになるのだが、正直高尾山は序盤こそ戸惑ったものの、全体を通してみれば楽勝だったので、高尾山よりワンランク上の山に登りたいと思った。

ネットで「初心者登山」とか「高尾山の次に登る山」とかのキーワードで検索してみると、たいがい引っ掛かってくるのが筑波山、それとか御岳山などの奥多摩周辺の山々だ。
筑波山はいざとなったらロープウェイもあり、標高も900m以下と手軽であり、首都圏から近いということから、確かに高尾山の次の山としてはうってつけなのだろうが、前にも書いたとおり俺は小学生の頃とはいえすでに3回くらい登っているのでもういいかな、と。次に奥多摩周辺だが、こちらもブログには書いてなかったかもしれないが、ここ2年連続であきる野市方面に蛍を見に行っているので、こっち方面もしばらくはいいかな、と。
で、ネットであれこれ探しているうちに「やまクエ」というサイトに当たった。これはまあドラクエ風に山の登山難易度をレベル表示してあり、あとは大まかな総歩行時間、歩行距離、標高差、山頂標高が表示されており、人気順にランキング付けされているものだ。
実際登山された方々のコメント欄もあり、これはなかなか便利だなということでここを参考にして選んでみることにした。

選ぶ登山の条件として次の点をクリアしていることを前提条件とした。
・関東近郊であること
・自宅を出て自宅に戻るまで、日帰りで完結できること
・登山口付近の駐車場まで自家用車で行けること
・特別な技術や用具(クライミングやアイゼン、ピッケルの使用など)を必要としないこと
・高山病にかかる可能性のあるような高山でないこと
・登山レベルが筑波山と同等以上であること

そうすると、人気ランキングに、大山、塔ノ岳、鍋割山など丹沢山地にある山々が上位にランクインしていた。
ただ気になるのが難易度レベルだが、いずれも40オーバーとなっており、ドラクエを知る者にとってレベル40といえば「ラスボスダンジョンレベルじゃね?」となるのだが、どうもこのサイトはそのへんの感覚がドラクエとあまりリンクしていないというか、例えば先日登った高尾山が初級となっていながらもレベル31だったり、筑波山もレベル39だったので、40を越えても登山初心者とはいえさしておののくレベルではないのかな、と思った。

ちなみにレベル50を越えてくると、テント泊や山小屋泊など1泊2日を要するものがほとんどになってきて、そのような山はレベル90を越えるところも少なくない。
1泊2日の富士山でレベル65、1泊2日の槍ヶ岳でレベル72、1泊2日の剣岳でレベル90といった感じだ。

それで、丹沢山地というのは俺の中では昔、地理かなにかの学校の授業レベルで名前は聞いたことがあるくらいの知識しかなく、どの辺に位置しているのかもよくわかっていなかった。
しかし調べてみると、東名高速の海老名JCTを過ぎて近い位置にあり、秦野中井ICを降りてからもアクセスしやすい位置にあったので、丹沢山地から選ぶことにした。

大山、塔ノ岳、鍋割山のどの山にするか迷い、鍋割山の山頂の鍋焼きうどんも非常に捨てがたかったが、塔ノ岳の表尾根コースという尾根を歩いていくコースが、変化に富んでいて見晴らしも良く飽きがこないという評判だったのと、事前に
山登りはじめました 著 鈴木ともこ」という本を読んでいてその中に塔の岳に登った話があったので、塔ノ岳に登ることにした。

やまクエの口コミで、後半足が棒になるだの膝が笑いっぱなしだのともやしっ子みたいな書き込みがいくつかあったが、そんな奴らは普段まったく運動をせずにファストフードばっか食ってタバコ吸いまくってるようなのがノリで登ったんだろう、と思った。ただコース時間6時間15分といのが多少引っ掛かったが。

さて、あとは前日に、というか、山に登ろうと思ってた日の前日に明日どこの山に登ろう?って感じで選んでおり、塔の岳の情報、登山ブログなどは前日の夜にざっとチェックした程度だ。また、服装、持っていくものなどは基本前回の高尾山を踏襲し、動きやすいカジュアルな服装に15Lのデイパック、それと先日活躍したコロンビアのトレイルランニングシューズ、ブログなどでけっこう汗を掻くようなことが書いてあったのでタオル、水1,250ml、アクエリアス500ml、おやつ、といったところだ。

ほぼこれでいこうと思っていたが、ブログを読んでいると梅雨の時期は丹沢はヒルが多いというようなことが書いてあり、木の上から降ってくるようなこともあるようなので、やはり帽子は必要かな、と夜7時過ぎにショッピングモールに登山用帽子を買いに行った。
ついでにヒル除けスプレーを買おうと思ったが無かったので、替わりに消毒用エタノールを買ってきた。


また、山を舐めていた。


(つづく)



孤独地獄男を応援してみよう
2017/06/21

初めて高尾山に登る

高尾山2

生まれてこのかた40歳になるまで登山などまるで興味がなかった。とはいえ山自体が嫌いというのではなく、温泉などは山に湧き出る強めの温泉が好きだし、また山菜やジビエ料理も好きなので、山自体はけっこう好きな方である。
しかしもっぱら登山といえば車で登るのが専門で、今まで登山らしい登山をした記憶といえば、小学校の時の学校の遠足や少年野球で登った筑波山くらいだ。
その時もまあ子供だったからというのもあろうが、特に楽しいとも思わなかったし、その後も20歳を過ぎても30歳を過ぎても登山などまったく興味の対象とはならなかった。
いや実際40歳になってもそうだった。

しかし、1、2年前に70歳手前となる母が、友人やらウォーキング仲間やらが高尾山に行っただの、みんな行っているのに私は行ったことがないだの、〇〇さんは何度も登ってるんだって、だの、なにげに強くプッシュしてくるので、俺は「そんな何度も登っているのなら、今度〇〇さんが行く時に一緒に連れていってもらえばいいじゃん」と軽くあしらっていた。

ここ数年、山ガールなどの用語ができるほど登山人口は増加しているようで、俺も高尾山人気はネットなどからたびたび耳にはしていた。
とはいえ高尾山などにまったく興味がなかった。

だが、母がいよいよ70歳となり、今はウォーキングなどをしているおかげで足腰に問題はないが、70歳も越えればいつどうなるかわからんということで、母の日も兼ねてゴールデンウィーク明けに母を連れて高尾山を登ることになった。

登山に興味のない俺の勝手な高尾山のイメージとしては、ちょっとしたネットの記事やらなにげに流れてくるテレビのちょっとした画像などから、登山者の恰好がそこそこ登山者風であり、高尾山に近い八王子JCTなんかをたまに通ると、そこそこ山深い感じなので、ある程度、まあ筑波山くらいの登山距離、体力を想像していた。
だが、当日が近づくにつれネットで情報を集めていると、小さい子供なんかも普通のスニーカーで登っているし、途中までケーブルカーないしリフトがあるのでそんな大げさな装備はいらないと思った。
しかし、俺はスニーカーといえば普段ジョギングで使用しているランニングシューズしか持っていなくて、ほかに持っているスニーカーといえば機能性を無視したカジュアルなものしかなかったので、この機会にとりあえず軽い登山用というか、ハイキング用のシューズを買っておこうと思った。

とはいえ、たかだか高尾山を登るのに本格的な登山用ブーツみたいなのは大袈裟なので、もっと軽めでライトなやつを買おうと思った。
とりあえず近隣のスポーツ用品店なんかを回ってみたが、登山用は案外種類を置いてなかったり、案の定、サイズが無かったり(俺の足のサイズ28.5cm~29cm)して、結局登山用品店が多く集まっているという神保町までわざわざ行き、ある登山シューズ専門店にてトレイルランニングシューズなるものを購入した。

コロンビアシューズ

ここでトレイルランニングシューズとはなんぞやということになるが、トレイルというのが舗装路以外の山野を走るものを指すことらしく、つまりそれ用のランニングシューズというわけであり、登山というより山野をランニングするためのシューズである。

一般に登山用シューズというのは地味なものが多く、頑丈に作られているためそれなりに重さもあるが、トレイルランニングシューズはジョギングシューズのようにカラフルなものが多くデザインもカッコいいものが多くて、そしてなによりも軽くて歩きやすいのが気に入った。
それからザック(今はリュックとはいわず、ザックというらしい)も持っていなかったので、15Lサイズの小さいやつ(高校生が通学でしょっているものより一回り小さいくらい)を購入した。


そして登山当日。車で行くのなら今高尾山へのアクセスは圏央道とC2(中央環状線)の全面開通により以前に比べて格段によくなっていると思われる。連休中の渋滞や事故渋滞さえなければ、ほぼストレスフリーで行ける。
駐車場も登山口から直近の場所は平日でも10時過ぎに到着して満車であったが、そこからちょっと離れればいくらでも駐車場はあった。

しかしまあ平日とはいえさすがは高尾山、人が多い。正直これほど人が多いとは思わなかった。
登山口であるケーブルカーの清滝駅の前で親子でうろついていると、突然「写真撮ってもらっていいですか?」なんて若い女から声を掛けられ、向こうは女3人パーティで、向こうもどうやら姉妹と母親という親子パーティらしかった。

「いいですよ・・・!」

などと普段はまず見せないであろう爽やかな登山者風情を演じた笑みを浮かべながらそれに応じると、

「あ、撮りましょうか!?」

などとその若い女は軽やかにそして自然に右の手のひらを差し出してきたので、
「じゃ、じゃあお願いします・・・」
と俺もその若い女にスマホを渡し、いきなり自動的に清滝駅前での親子の記念撮影会となった。

俺はこれまでも誰か連れがいると案外写真撮影を頼まれることが多い。まあ背が高くて目立つからというのと、なんかおとなしそうな感じだからだろう。
でもまあそれは誰か連れがいることに限られていて、一人でうろついているときはまず声を掛けられたことはない。

そして無事記念撮影会が終わり、てっきり途中までケーブルカーで行くものかと思っていたが(俺はそのつもりできたし事前に母にも伝えていた)、母が突然「ここから歩いてもいけそうよ」などと言い出したため、「え?!ここからだと結構歩くよ?高尾山っつったって山だし一応登山なんだからさ」と言ったのだが、友人も下から歩いて登っているみたいよ、などと言い出し、多少不安もあったがケーブルカーを使わずそのまま歩いて登ることになった。コースは一番スタンダードな一号 表参道コースだ。

歩き始めて10分くらいで、あれ、案外キツいな、と思い始め、さらに10分ほどで軽く息があがるほどになった。
道は完全に舗装された道ではあるが、傾斜はどんどんきつくなっていき、普段山登りなどまったくしない俺はけっこうフゥフゥ言いはじめ、母に「案外キツいねw」などと言うと母もけっこうキツそうであった。
いや、周りを見渡せば俺同様に舐めて掛かっていたであろう奴も多そうで、汗だくになって深刻そうな顔をしている小太りなオッサンなんかもいた。

そしてケーブルカーでいうところの清滝駅と高尾山駅の中ほどに金比羅台という見晴らしのいい場所があるのだが、ここは本道から少し外れて行くわけだが、なぜか俺らはそっちに行ってしまった。
こっちは道が階段状になっており、その階段の一段一段の高さの幅が広く、ここまでですでに結構息が上がっていた母がこの階段の途中で「この段差はきつい。もう登れない」とか言い出しやがった。
とりあえずその場は手を差し伸べて母を引っ張り上げた挙句、あ、展望台はすぐそこだよ、階段ももう終わりそうだよ、などと母を励ましなんとか金比羅台に辿り着いた。
ここにはベンチなんかもあり、見晴らしも良く、座って早速小休憩となった。

やはりケーブルカーで行くべきだったか、と正直後悔していた。すでに汗だくだ。母がじゃなく俺がだ。タオルで体中を拭きまくる俺。この段階でまだケーブルカーの終点である高尾山駅の中腹ほどだし、そことて頂上までの中腹なのだから、この調子で行けば母はもとより情けないことに俺も厳しい。
週一くらいとはいえ普段5kmくらいジョギングしてるからまあ余裕だろ、と高尾山を舐めきっていたが、高尾山といえども山道を登るというのはやはり平坦な道路を歩いたり走ったりするのとは訳が違うのだと思い知らされた。
俺はザックの中は上に羽織るものと水くらいしか入っていなかったが、用意のいい母は凍らせたアクエリアスのゼリー状のものやおやつにチップスターなどを持ってきており、それらをもらって失った塩分とアミノ酸を補給した。

この小休憩で体力がけっこう回復し、再び歩き始めた。
あのきつい階段はあそこだけで、その後は登場しなかった。
というか、ここを過ぎるとあとはさほど苦もなく高尾山駅に到着し、高尾山駅から高尾山薬王院、そこから山頂までの道のりというのは、登山というよりほとんど観光地巡りのようなものであり、俺も母も息があがるようなこともほとんどなく、序盤のキツさを考えれば、ちょっと拍子抜けに近い感じで山頂に到着した。

そして山頂。平日にもかかわらずとにかく人、人、人である。
山頂の動画↓


もう普通に観光スポット。そして山頂と山頂周辺には、蕎麦やカレーなどが食べられる食事処が点在し、トイレもあるし、山頂の広場にはご丁寧に水道の蛇口まであるw
1,000m以上あるようなそこそこの山の山頂ではこんな親切なところはまず無いだろう。
都内近郊から気軽に来れて、山道も山頂も至れり尽くせりとなれば、人気が出て当然だ。

山頂で高尾山名物であるとろろそばを食べるのも良いな、とは思っていたが、食べログなどで先ほど記念撮影をした清滝駅前近くにある高橋家という蕎麦屋の評価が高かったので、下山後そこで食べることにした。
が、期待値が高過ぎたのか知らんが、案外普通であった。
でも下山途中で食べたこれも高尾山名物、天狗まんじゅうはかなり美味しかった。

下山はまた母が、このまま歩いて下まで行けそうとか言ってきたが、下りのリフトがなかなか面白いという情報を得ていた俺は下りはリフトで降りようと強めに提案し、リフトで降りることになったが、想像以上に楽しかった。2人乗りのリフトなんだが、まあ空いてたし別に1人ずつ乗ってもよいのだが母と2人で乗り、俺の方が体重があるからけっこうリフトが俺の方に傾いて、ポケットからスマホが落ちそうになるしなにげに少し怖かったw
まあでも母も楽しかったと言っていた。

さて、こうしてなんとか無事、高尾山登山を終えたわけだが、思いのほか、想像以上に登山を楽しめた。そしてトレイルランニングシューズの履き心地がかなり良かった。
定期的にジョギングをしているおかげか、翌日なども筋肉痛になることもなく、また近いうちにこのトレイルランニングシューズを履いて登山をしてみたいと思った次第である。



孤独地獄男を応援してみよう

2017/06/18

アベノミクスから現在までをサクっと総括(後編)

2013年のアベノミクス相場から2016年末のトランプ相場にかけて、米国相場の堅調やアベノミクス・東京オリンピック相場に支えられたとはいえ、プチショック的なものが数回おとずれた。
2013年5月のバーナンキショックやその後のチャイナショック、昨年のイギリスのブレグジットショックなどが主なものであろう。
そういうショックに俺は常にポジションを持っており、ほぼ全力であり、常に全弾浴びてきた。
そしてその都度追証にはご丁寧にもできるかぎり応じてきた。
結果、2016年末において、2013年からの3年間で俺の負債額たるや、新車の普通車を一括で買えるほどのものになった。
俺こんなに金持ってたんか??と驚いたが、実際そういう数字になっている。

新車の普通車ってよくわからんってことでもっと具体的に言えば、プリウス、いや、プリウスαの最高グレードをフル装備で買ってもおつりがくるよ、ってことだ。
薄目戦法でごまかしてきても、年度末の年末調整ですべてが明るみになってしまうのだ。

そんなこともあり、あとは諸々の理由で今は株式市場から距離をとっており、さらに諸々の理由で今は主にFX取引を主としている。
で、現状、勉強状態というか、あまり動けていないというか、トントンくらいだ。
というか、株式の負債が若干まだ残っていたりして、口座の出入りが常に激しい。
自転車操業に近い。大半の時間はガソリン抱えてローリーに乗っていないと死ぬ。
仕事も資産も人物もなにもかも危険物だ。

兎にも角にも、相場に関してはいまだ模索中、暗い樹海の中を彷徨っている最中であり、いまだ明確な一筋の光すら見えない。
とりあえず相場に関しての現状はこんなところだ。
ここ4年くらい、相場のおかげでモヤモヤしっぱなしだった。
いや、これからもまだ続くのだろう。とはいえ明確な出口もなく、見当たる目途もなく、50歳への坂をばく進中である。
相場の話はとりあえずここいらで一端区切りとしたい。



孤独地獄男を応援してみよう

2017/06/09

アベノミクスから現在までをサクっと総括(全編)

また更新が1か月以上滞ってしまった。
とにかく日々色々と忙しく、「あー暇だなー、今日何しよう?」なんて日は1年を通して365日無い。
そのほとんどが仕事で潰れるわけだが、あとはまあ家事全般というか、買い物だとか掃除・洗濯だとか、美容室、歯医者、病院、実家に帰ったり相場の勉強だとかでとにかく暇が無い。

だからなにかブログに書きたいようなことがあってもそれを文章にまとめて書いている時間が無いので、そのまま日々の忙しさの中に埋没してゆく。
そうこうしているうちにあっという間に1か月が過ぎ、3か月が過ぎ、半年が過ぎ・・・となってしまう。
しかしそんなことをしていたら相場の話でもなんでも、いっこうに現在に追いつけない。
そんなわけで、当初はアベノミクスが始まった2013年から現在までの俺の相場との取り組みをそこそこ詳細に、そしてちょっとした私小説風に書いていこうと思っていたが、先に述べた通りなかなかそのような時間が取れないのと、また、淡々とと相場の取り組みをブログに書くのは相場に興味が無い人は読んでいてもあまり面白くないだろうし、書いている本人も案外退屈というか、それこそ仕事で文章を書いているような感覚になってしまうので、とりあえずここいらで今までの大筋を書いて、ブログはなるべく直近の出来事を中心に書いていきたいと思う。

まず前々回のブログの東京オリンピック相場の件だが、東京オリンピック決定から初日の相場で、日経平均から不動産から建設からと、どれもこれもオリンピック関連銘柄を中心に大きく窓を開けてギャップアップして始まったわけだが、不動産は午前中で早くも天井を打ち、さっさと垂れてしまった。
そこでまあとりあえず利益確定はできたのだが、本命は建設株であり、その後年末にかけて建設株は大いに盛り上がった。
俺はその相場に乗り遅れたが、それでも相場全体がオリンピックで湧いており、今まで負けた分はまだまだ取り返せなかったものの、そこそこ勝てた。

2013年~2014年というのはとにかくスマホ関連株が盛り上がった。
ガンホーから始まりゲームだのタッチパネルだの指紋認証だのMVNOだの格安SIMだのと日替わりでどこかしら噴いていた。
ガンホーには乗り遅れたものの、MVNO、格安SIM関連である日本通信はそこそこ乗ることができ、ほぼマイナス分をチャラ、一時的にはプラスにすらなり、調子に乗って200万近くあった口座残高を信用全力で日本通信を買い漁り、しかしその2日後か3日後に日本通信が実はまったく儲かってません決算を発表しやがって、翌日の気配値はストップ安、そして1,200円以上あった株価が3か月ほどで約3分の1の430円まで下がった。

とにかくとんでもないスピードで落ちていった。トイレ行って戻ってきたらもう100円とか落ちてた。
俺は200万の信用全力だから、700万くらいの買付余力があったわけでそれを全力。
すべて1株1000円以上のときに買ってるから、まあ5,000株か6,000株くらい持ってたと思う。
だから、ウンコして戻ってきたらもう50万とか60万とか飛んじゃってる。
だからまともにネット口座の「現在の評価額」「信用建玉一覧」などとても直視できない。
入金などで(もちろん追証)どうしてもその画面に行かなくてはならないときは現実などとても受け入れられないから、薄目にしてさらにその部分を手で隠してた。

さっさと損切りすればいいだろアホが!と誰もが思うだろうが、こう音速でナイアガラの直撃をしかも全力ポジションとかで受けるともうまともに脳が働かなくなるんだ。本当に思考が停止する。本当にフリーズするんだよ。指を動かせだのという指令はまず脳から発せられることはない。ストップロスを置いとけってことなのだが、しかしえてして初心者はそれができない。頭ではわかっているのにできない。
1発ナイアガラを喰らうともうここから損切ろうって気にはなかなか人間なれない。損切りってことはそこで損を確定してしまうことだから、それを実行するのは本当に難しい。しかしそれを実行できぬ限り、相場の世界ではいつまでも初心者であり、いつまでも食いものにされるわけだ。

おっと、サクっと終わらせるつもりだったが案外長くなってしまった。続きはまた後日ということで。



孤独地獄男を応援してみよう


2017/04/29

最近の俺について

最近の俺のブログは相場回顧日記になってしまっている。
それは現在に至っても相場が生活の中心になりつつあるのでそういうことになっている。
とはいえトラック運転手の仕事を辞めたわけでもなく、引き続き独身であり彼女もいないし作る気もない。
まあ過去の相場の回顧録ばかり綴っていても退屈なので、ちょっと最近の俺について書きたいと思う。

生活的にはナンパに励んでいた5,6年前とさほど変わってはいない。相変わらず酒は好きで飲むが、やはり若干弱くなった気がする。気持ち悪くなったりということはないのだが、すぐ眠くなるし、もうお腹いっぱい、飲まなくていいや、ってなる。
あと翌日にアルコールが残りやすくなったので、夜中出勤の時などは4,5日まったく飲まなかったりする。

週1ペースのジョギングはなにげに3年くらい続いている。軽い筋トレも続いており、おかげさまで20代の頃と体重はさほど変わっていないし、中年太りにもなっていない。

とはいえ、兎にも角にも40歳を過ぎていよいよというかまあどこからどう見てもザ・オッサンになった。
35、36歳くらいまではオッサンだオッサンだ言っててもどこかまだ余裕のある、若さの残るオッサンであったが、40歳を過ぎてガクっとオッサンになった感じだ。

子供から見ると、例えば自分が小学生中学生頃のことを思い出してもらえればわかると思うが、この頃の自分の親が30代から40代になっていくのを見ていても、自分の成長による変化の大きさの方が凄すぎて、親などほとんど変わってないイメージがあったが、しかしいざ自分がそうなってみると中年は中年で年々確実に老いていくのが手に取るように実感できる。

あとは喜怒哀楽、感動することが激減した。いや、ムカついたりストレスや怒りの感度は増した気がするが、その他の感情が揺り動かされる頻度も振れ幅も減少した。
なにを見たり読んだり聞いたりしても腹を抱えて笑うことなどまずないし、とりとめもなく涙を流して泣くこともない。
だから最近はDVDを含め映画もほとんど観てないし、漫画も読んでいない。
あとあれほど好きだったゲーム欲もまったく無くなった。あれはもう膨大な時間の無駄以外のなにものでもない。
俺はこれまでの人生でゲームの時間だけを取り出したら何年分あるかしれたもんじゃない。

それから、脳が時系列的に思い出をデータセーブしなくなってきた。
各データへの日付機能も劣化してきているのだろう。
と同時に、前述の通り日々感動が無いため、日付するデータに値しないとみて時系列的に整理していないのかもしれない。
これは例えば、30歳くらいまでは、何歳の夏になにがあった、何歳の秋になにがあったというふうに、パッパッと記憶が出てくるが、それ以降になるとかなり怪しくなる。
33歳の夏、36歳の夏、37歳の秋、38歳の秋、の思い出は?と言われてもなにも思い浮かばない。
記憶に残るイベントがほとんどないからだろ、と言われればそれまでだが、しかし年に1回は一応温泉旅行などもしており、しかしその旅行がどの年にいったものかとなるとかなり考え込むことになってしまう。
仕事面においてもほぼルーチンワークで思い出に残ることなどほとんどないので余計そうなるのだろう。
でもまあこれはどんなスリリングな仕事をしていても毎日その仕事をしていれば脳も慣れてきてしまってみんなそのようになるのかもしれない。

とにかくまあ脳がそんな状態なものだから余計に時計が早く進む進む。経過する経過する。
いつもこんなことを書いているような気がするが、実際そうなのだからしょうがない。無情にも老いは外見と同時に感性もデータセーブ能力も確実に劣化させている。

そして時間が経過し、歳をとれば風景も変わる。ここ3,4年のスマホの爆発的普及は目を見張るものがあるが、街中の小学生が普通にスマホを持ち歩いているのを見るとさすがに世代間ギャップを感じずにはいられない。
子供のときにスマホがある生活って想像すらつかない。
そしてこの小中学生が生まれた時って俺何歳だったんだよなにしてたんだよ、とかすぐそういうくだらないどうでもいいようなことを考えたりする。
するとまあとっくに大学なんか卒業しててすでに社会人として働いてるし、てことはつまり普通にこの子らの親世代じゃね?という世代間ギャップに愕然とし、とはいえその頃ですらすでにカメラ付き携帯が普及してて普通にネットも普及してて2ちゃんねる見てネットショッピングしてパソコンでオンラインゲーやってたんだから、そんな時代に生まれた子供がもう中学生とか高校生になっているのかと思うと愕然とする。

自分が40代になって、やはり世代が大きく動いたように感じる。自分が10代から20代、20代から30代になったときよりもそれは大きい。
いつの間にかテレビに出ているスポーツ選手はほぼ年下だ。
中年太りしたプロ野球の選手も、ハゲ散らかして走ってるサッカー選手もいつの間にかみんな年下。
関取りも横綱だろうが50歳前後のオッサンの顔してようがみんな年下。
リアルの世界じゃ歯医者にいったときや病院で診察を受ける時に明らかに自分より若い先生に遭遇する確率の方が高くなった。

自分としては時間を無駄にしている自覚はまったく、それなりにプラスになる作業を少しずつでもやっているつもりではあるのだが、とはいえ日々前進しているようにも思えなく、40歳を過ぎてもなお日々悶々としており、なにかもうこういう因果律なのかなんなのか、もう高校生くらいからこの律からいっこうに抜け出せていない。

なんかダラダラと陰鬱な記事になってしまったが(いつも通りか)今後もとりあえず相場のことと、自分の近況などを中心に書いていきたい。



孤独地獄男を応援してみよう
2017/04/27

オリンピア・ギャンブラー

「マージンコールに応じてはならない」

これは伝説の投機家、ジェシー・リバモアの格言でもある。
値ごろ感でそろそろ底だろうと思われても、そこは底ではない。
いくらオシレーターが高値圏・安値圏示唆でへばりついていても、トレンドというのはその先にある。
リーマンショック前は4桁台だった株価のものが、アベノミクス直前まで何年も100円以下のボロ株のまま推移していた銘柄なんていくらでもある。
地震など突発的な天災や同業銘柄の不祥事などで煽りを受け一時的に株価が下落した場合を除き、追証が出た時点で素直に自分の間違いを認め、建玉を清算し次の相場に備えなければならない。

しかし、そんな基本的なことすら理解していなかった当時の俺は、株価が右肩下がりの中、証券会社から定期的に請求される追証に素直に応じていた。
カード会社のキャッシングは1社ではもう追いつかず、2社目に突入していた。
株価が下がるたびに、そして追証のメールが届くたびに胃がキリキリと痛んだ。
建玉を解消すればもうそれ以上の追証は発生しないのに、負けを認めたくない、賭けた金を失いたくないという一心で借金してまでもマージンコールに応じていた。
そして毎日やることと言えば昭和飛行機とジェコスのIRチェックと、事業内容や今後の見通しなど入念な企業調査。
本来ならそんなことは株を買う前にやるべきことだが、結局持ち株のいいところを少しでも見つけて安心したいがために夜な夜なそんな意味のない行動を取ってしまう。

日経も相変わらずさえない値動きだったが、バーナンキショックのリバウンドで8月前まではそこそこ戻した。
それにつられて全力2階建てしていた2銘柄も多少戻したので、このタイミングでジェコス全建玉と昭和飛行機の半分の建玉を決済、損切りした。

そのまま8月は夏枯れ相場となり、日経もまたダラダラ下げ続けて8月28日には年初来安値となる13,188円を付けた。
アベノミクスは束の間の夢、マーケットでは完全に終了した感すら漂い始めたかのように思えたが、しかし9月に決定される2020年夏季オリンピックの東京開催の可能性と期待が上がり始めていた。

よって、8月下旬から建設関連が期待先行でじわじわ買われ始めていた。俺はこれまでの負債分を取り戻そうと、この東京オリンピックに賭けた。
建設関連はすでにそこそこ上がっており、値動きも重いイメージがあったので上がってもたかが知れてるだろうと勝手に解釈し、俺は東京オリンピックが開催されれば東京の地価も上がると踏んで不動産銘柄であるケネディクスといちごを信用全力で買った。
今でこそもはやアベノミクスなんて死語に近いが、当時はまだそれに対する期待感は大きかった。黒田日銀総裁の目もギラギラしていた。つまり資金を倍増させるとしたら、この東京オリンピック開催とアベノミクスの相乗効果を狙わない手はないと思った。
久方ぶりに俺の心もざわついてくるのであった。


(つづく)



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2017/04/11

マージンコール

得体のしれない不安を抱えたまま、翌日である24日を迎えた。
とはいえ、前日1日だけでキチガイみたいに1,000円以上も爆下げしたのだから、ある程度は戻すだろうという期待もあった。
しかし、マーケットが開いてみれば昨日の地獄がさも当然のごとく続いていた。

日経平均は一時昨日の終値から502円マイナスとなり、14,000円を切ってしまった。
昨日の高値が15,942円、今日の安値が13,981円なので、一時的にせよたった2日間でなんとほぼ2,000円も下げたことになる。
その後買い戻しが入り、昨日の終値より高く終わったが、しかし翌営業日には25日移動平均線を割り、デッドクロスとなって5日移動平均線にことごとく頭をぶっ叩かれ続け、75日移動平均線も割り、結局6月7日の12営業日、つまりたった2週間で高値と終値の差がマイナス3,394円、5月22日と6月7日の終値ベースの差ではマイナス2,750円にもなった。
我が信用全力2階建て銘柄である2銘柄の下げも酷く、5分足でリアルタイムで値動きを見ていてもどす黒いテトリス棒がまるでボーナスステージであるかのように降り注ぎ、とくに元々マイナーで不人気銘柄であるジェコスなんかは徹底的にブン投げられ、さっそく年初来安値を付けやがった。


20130607日経


昭和飛行機2


ジェコス2



信用全力2階建てをそびえ立たせていた俺の信用口座もむろん無傷じゃ済まされなかった。
信用取引というのは委託保証金維持率というものがあり、その維持率を割ると(たいてい30%程度)その維持率を回復させる分を口座に入金しなければならない。いわゆる追証というやつだが、これはこの委託保証金、つまり担保が現金であれば、いくら暴落が起きたところで現金そのものの担保価値は減らないのでて建て玉銘柄の評価損分だけ入金すればよいが(とはいえ全力信用買い建てしていれば保証金に対し3倍返しを被るため、それだけでもかなりの痛手)、その担保を現金ではなく現物株にしていると、その現物株の担保価値も目減りするため、あっという間に追証、致命傷、借金地獄に陥るのである。

俺は無謀にもその仕組みをよく理解しておらず、というか追証を「ついしょう」と読んでいたほどのレベルであり、それがどれほどの金銭的苦痛、精神的苦痛による地獄であるかなど、まだ知る由もなかった。

が、間もなくしてそれへの招待状となるメールが届くのであった。

「 【重要】信用取引口座で不足金が発生しているためご入金が必要です 」


(つづく)



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2017/04/03

洗礼

当時信用2階建てだの3階建てだのをやっている意識はまったくない。とりあえず信用買い付け余力分は俺の口座資金で買えるんだろ、って感じでとにかく目一杯買っていた。

信用口座開いて目一杯まですぐ買ったし、買った後1日は横ばいだなあ、みたいな日があったような気がする。
まあ多少の浮き沈みはあるにしろ、アベノミクスなんだからどうせこれまでのようにじわじわ上がっていくんだろ、くらいにしか思っていなかった。
でも、5分足を見ていて多少押してもこれまでのような反発力が若干弱いような気がしないでもなかった。


翌日、俺は夜中からの仕事を終え昼過ぎに自宅に戻った。
当時俺はまだスマホを持ってなく、ガラケーでも証券会社のサイトなりで株価のチェックはできたのだろうが、株価などそんなしょっちゅうチェックするもんでもない、1日に1度か2度チェックすればいいものだくらいにしか思っていなかったので、その日のマーケットの動きは帰宅してPCの電源を入れるまでまったく知らなかった。

おもむろに楽天証券の口座にログインした。
ログインするとまず目につくのが資産合計額なのであるが、なんだか見慣れない数字が並んでいた。
今まではその左端の数字は常に1であり、最近ではすでに10万以上の利益を得ていたので、11のはずだった。
しかし今画面上に出ている左端の数字は「6」である。

・・・・・・・・・・・・んあ?

普通になにかの間違いだと思った。俺がタブボタンの押し間違いかなにかでなにかいつもとは違う画面を見ているのか、それとも信用取引の関係でなにかの算出日かなにか、もしくはサイト画面のバグかなにかで楽天証券に問い合わせの電話を入れようかとさえ思った。
いや、その前にとりあえずチャートを見てみようと思った。おもむろに日経平均のチャートを見てみると・・・


20130523日経1


これを見てまず最初に感じたことは、とりあえず腑に落ちたということだ。俺だけじゃない、全体が落ちたからこういうことになっているんだ・・・
いやしかしまて、安心している場合ではない。これはとどのつまり資産合計額はなんの不具合でも間違いでもなく、今てめえのリアルの口座残高総資産額ということだ。

そう理解したとたん気味の悪い目眩を覚えずにはいられなかったが、なぜこのようなことになっているのかネットで検索しまくって色々な記事を読みまくった。
するとどうやらFRBのバーナンキ議長とかいう奴が、金融緩和策(QE3)の縮小を示唆する発言をしたからだというのだ。
当時の俺はまったくもってなんのことだかわからず、そんなわけのわからないオッサンの一言でこんな日経が1日で1,000円以上も暴落していいものなのだろうか?
まったく意味がわからず、ただただ茫然とするしかなかった。

ちなみに日経がこれほどの暴落をしたのでほぼすべての株がブン投げられて、もちろん俺がタワーを形成していた2銘柄も激減した資産合計額が示す通りきちんと暴落していたが、ただこの2銘柄はすでにその数日前からある程度下げてきていたので、日経平均ほどのナイアガラとはなっていなかった。


昭和飛行機1


ジェコス1


バーナンキのオッサンがあと1日か2日早く呟いていてくれれば、もしくは信用取引口座開設があと1日か2日遅れていれば、俺はこの大事故に巻き込まれずに済んだ。
結局洗礼を受けたのだ。市場からの洗礼を。株式経験6か月以上ありと虚偽の申請をし、軽い気持ちで信用全力2階建てとかナメた行為をしたため洗礼を受けたのだ。

とはいえ、のちにこの大暴落はバーナンキショックと名付けられたが、〇〇ショックという歴史的大暴落に株式の世界に入って1か月以内に喰らうとは思わなかった。しかも信用建玉に関しては1日か2日だ。
そりゃどんな天才投資家でも市場からの洗礼は免れることができず、かの天才投機家、ジェシー・リバモアでさえも4度も破産しているが、しかし相場の世界に足を踏み入れたとたん、全力2階建てで大津波に遭うなんて間抜けもそうそういないだろう。

兎にも角にも、ここから出口がまったく見えない真っ暗闇の長く広いトンネルを青ざめた顔で彷徨うことになるのであった。


(つづく)



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2017/03/29

The Tower of Babel 

信用取引口座開設により300万超の買付余力を獲得したのはよいが、めぼしい銘柄はとにかくもう、素人目で見ても買われ過ぎを示していた。
昨年末の安倍政権発足から半年間も押し目らしい押し目もなく上げ続けた。8,000円台から倍近い、16,000円弱までたった半年で上げてきたのだ。無理もない。
当時の俺は初心者も初心者、ど素人で、相場観などレベル1か2程度で、この先なにをどうすればまったくわからないものの、なぜか焦りばかり先行しており、とにかく今買わねばという一心であった。
とりあえず先日購入した「〇〇氏激選、爆騰株50銘柄」ムック本からピックアップすることにした。
この中で出遅れ株をピックアップし、購入することにした。

ここでピックアップした銘柄は、昭和飛行機工業とジェコスという銘柄であった。
マイナー銘柄のためかアベノミクスでも出遅れており、とはいえムック本では大化け株的な感じで紹介されていた。
ちなみに昭和飛行機工業はいわゆる含み資産株というやつで、本業がどうのというよりもその企業が所有している土地の価値の含み資産により、その企業価値も上がるという思惑で買われる銘柄であった。
この含み資産株暴騰という図式はどうやら80年代バブルの時代に演じられたらしい。
当時は東京のいわゆるウォーターフロント、大井あたりから豊洲あたりの不動産を持っている企業の株が暴騰した。
まだお台場やらレインボーブリッジのない時代だ。
一方ジェコスという会社は仮設鋼材のリースというかなりマニアックな会社だ。

まあどちらもバブればつられて上がりそうな銘柄ではあるが、証券だの金融だの不動産だのスマホ銘柄がボンボン上がっていた時期にこのような古典的な銘柄をわざわざ買うことはないだろうとは今は思うのだが、しかし当時はとにかく相場に関してはレベル1で右も左もわからなかったので、素直にこのムック本通りにこの2銘柄を買ってみた。


しかもこの時300万超の買付余力を見て気が大きくなったのだか知らんが、これら2銘柄をまず限度額まで現物で買った上に、それを担保にさらに信用取引を使って目一杯この2銘柄を買うという、いわゆる全力2階建てという禁じ手をわけのわからぬままブチかましていた。
それとあと余ったわずかな余力でもう2銘柄を100株とか200株とかの小単位で買った。
その2銘柄がなにであったかはもう覚えていない。


(つづく)


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2017/03/16

Pandora's Box

買ったそれぞれの銘柄が、毎日あまりにも順調にそれこそ右肩上がりに含み益を伸ばしていったため、さすがにチャートを見始めて、高値から押したところはそれぞれ利益を確定していった。
まだ株取引を始めて1週間やら10日ほどなのに、口座の残高が100万から一気に110万になっていた。

即また株を購入して回転させねばと思ったが、100万円が110万円になったところで購入できる株数はしょせんたかが知れてるし、現物株だと回転売買ができない(注)ので、このアベノミクスの大波で一気に資産を倍増させてやろうと思い、早急に信用取引を使わねばならないと思った。

先に読んだ2冊の本で信用取引のおおまかな知識を得て(さすがにコンビニ本の「初心者でもカンタン マネるだけ!」本には信用取引のことはいっさい書かれていなかった)、その早速界王拳とやらを使いたくなった。というか今使わずしていつ使うんだと思った。

この時期ネットでもテレビでもマネー雑誌でも、とにかく景気のいい話が躍っていた。
とくに2013年から株式の信用取引の取引所規則の改正により、信用取引で保証金の約3倍の資金を扱えるだけでなく、その保証金をその日のうちから銘柄も回数も無制限に繰り返し利用できるようになったということもあり、アベノミクスの大波の上でデイトレでシコシコ回転売買を繰り返し、億万長者になった人が続出した。
業界ではその人を「億り人」と呼んだ。

しかし、信用取引は証券会社の口座を開設すれば誰でも即使えるわけではなかった。別個にまた信用口座の開設を申請する必要がある。
またその際には一定額の口座残高や投資経験が問われたりする。
そこで問題になるのは投資経験であるが、ほとんどの証券会社で問われるのが最低半年~1年の投資経験があるかであった。
俺はそんなのほぼゼロに等しいし、だからといって正直に書けば落とされると思って適当に2年とか3年とか書いておいた。
そもそもそんなものはこちらの問題であるし、また嘘をついたところでバレるようなことでもないからだ。
とはいえ、証券会社によっては、申し込み内容の件で電話で問い合わせることがあるようなことが書かれてあった。

念のためいくつかの証券会社の信用口座開設の申請をしたが、結論から言うと問題なくすべての信用口座を開設することができた。
ただ1社だけ、確認の電話が掛かってきた。主に投資経験についてだが、簡単なやり取りで別段問題もなく終わった。

俺はもう現在の仕事の、こんなわけのわからない時間に起きて昼夜逆転して、長い時間拘束され休みも少なく長期休暇も取れずなんの記憶も残らない単調な日々の繰り返しにそろそろピリオドを打ちたかった。本当にもう、30代も中盤を過ぎて過ぎ去る時間のスピードたるや衰えることを知らないし、このままじゃ40どころか50歳もあっという間に過ぎ去る予感がひしひしと感じられた。
俺ももう億りたい。アベノミクスの大波に乗って億られたい。そして早期リタイヤして悠悠自適に暮らすんだ。

数日後、証券会社から信用口座開設のお知らせという件名のメールが届いた。
ネット口座を確認してみると、口座管理画面の信用新規建余力(信用取引を使った場合の最大買付可能額)は一気に330万となった。
今まで俺が生涯で扱ったことのない、見たこともない額がそこにはあった。
ついに信用取引という名のパンドラの箱を開けてしまった。
箱の中には欲望色でいびつに輝く諸刃の剣が入っていた。


(つづく)



(注)例えば、口座に100万円あり、その口座から70万ででA株を買って株価が上がったからその同じ日にA株を80万売って、再びその日のうちに今度はそのA株が50万に下がったから買おうとしても買うことができない。その日のその口座の買い付け余力としては最初にA株を70万で買った残金の30万しかない。もちろん総資産額としては110万円である。ただ、新たに20万をその口座に入金すればその日の買付余力は50万となるので、50万のA株を買うことができる。つまり現物で株を買うと、その株をその日に売ってもその資金はその日は拘束されてしまうということだ

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2017/03/15

Viva Abenomics !

例の2冊の本を読み終える頃にはもうゴールデンウィークも終盤に差し掛かっていた。
日経平均株価が依然右肩上がりなのはわかっていたから早くその波に乗りたかった。
だいたい株とはどういうものなのか基本はわかったつもりだ。そろそろ実際に購入しなくてはならない。

とりあえず先に買ったコンビニ本の薦める通りに楽天証券に口座を開いた。
入金した金は次に買う車の準備金として貯めておいた100万円。俺のほぼ全財産だ。
実際に証券口座の資産合計額に表示された1,000,000円の数字を見ると、なんだかちょっぴりワクワクするものがあった。
これで俺も投資家になれるのか。

しかしいざ株を買うとなると、どの銘柄を買えばいいのかまったくわからなかった。
試しに楽天証券のサイトで教科書通りにPERやPBRでスクリーニングに掛けてみたりもしたが、ほとんどの銘柄がすでに割高を示していた。
しょうがないので本屋に向かい、「〇〇氏激選、爆騰株50銘柄」とか「〇〇が選ぶ爆騰アベノミクス銘柄」のような、胡散臭いオッサンが腕組したり人差し指を立てたりして表紙に掲載されているムック本を2,3冊買ってきて、そこからめぼしい銘柄をピックアップすることにした。

この段階では俺なりの株に対する見解(今考えるとかなり浅はかだが)として、こうやってプロ(?)が分析、薦める株を選んでおけばそう間違うことはないだろうと思っていた。
しかし、やはりそれらに掲載されている銘柄のチャートはどれもこの半年間右肩上がりですでに高値圏、素人目にも上げ切ってる感のようなものは感じられた。

とはいえ、どの雑誌のどのオッサンも、アベノミクスはまだ初動も初動、まだ始まったばかりだ的な意見が多く、総強気であり、俺もそんなものなのだなという感じで目をギラつかせながら各銘柄解説に目を通していた。

そしてそんな中から4銘柄をピックアップして、100万円で買えるだけ買った。それぞれ200~500株くらいの単位だ。
だいたい東証1部の有名どころの企業の銘柄だったと思う。その中で今でも覚えているのはソニーとみずほ銀行だ。

さていざ購入となるわけだが、株の基本的なことは先に読んだ本でだいたい理解はしていたのだが、テクニカル分析というものをほとんど勉強していないに等しく、なので購入するにもマーケットスピードなどはまったく見ずに楽天証券のサイトから適当なタイミングでそれぞれ買っていた。

株を買うのは簡単で、いったん口座さえ開設してしまえばそれこそamazonで品物を買うよりも容易であり、2,3回のクリックで時価総額何十万もの商品が一瞬で自分のものとなった。
そしてその日のうちに4銘柄を適当なタイミングですべて購入した。

しかしさすがはアベノミクス相場だった。どの銘柄も買った瞬間から含み益が発生、伸ばしていった。
みずほ銀行だけはすでにこの半年で株価が2倍近くになっており、含み益がプラスになったりマイナスになったりとあまり動かなかったが、他の3銘柄はその後も順調に含み益を伸ばし、たった1週間でトータルの含み益が10万ほどになっていた。

アベノミクスすげえや、と思った。株すげえ。
買って放っておくだけで勝手に金が付いてくる。
ビバ、アベノミクス。
おかしな自信が自分の中にみなぎっていた。と同時に変な焦りのようなものも感じていた。
「早くもっと買わないと」


(つづく)


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2017/03/12

基本と要領

俺は一応、大学は商学部を出ていて、金融論とか会計学とか履修したことになっているが、世の中の金融やファイナンス的な知識に関しては恥ずかしながら皆無であった。なので、株に関する知識もほぼ皆無に等しく、どのような仕組みで株式が成り立っているのかなどもちろん知るはずもなく、株の買い方や配当の仕組みなどもまったく知らなかったし、なぜ株価が上がったり下がったりするのかその仕組みもまったく知らなかった。

そんな状態でなにげなく、まさに出来心で買ってしまった「初心者でもカンタン マネるだけ!株&FX完全ガイド」をおもむろに読み始めたわけだが、この本の構成は大まかに言うと、各証券会社の比較、口座開設の仕方、銘柄選びの基本、基本的なチャートの見方、注文の仕方、アナリストが選んだベスト銘柄ランキング、とまあこんな感じだ。

今読むとほんと基本のキのことしか書かれていなくて、例えばチャートの見方などはローソク足の見方とゴールデンクロスとかダブルボトムとかの本当に基本的なことしか書かれていない。
とはいえこれらは車の教習所で例えれば右側のペダルがアクセルで左側のペダルがブレーキというくらい基本中の基本で知らないわけにはいかないので、株初心者用の本に書かれていて当然であり、これはこれでいいのだが、問題はこの基本的なチャートの見方より前に、つまり口座開設の説明が終わっていよいよ株取引とはなんぞや、の導入部で銘柄選びの基本としていきなり聞いたこともないPER、PBR、EPS、BPS、自己資本比率、配当利回りの意味とそれぞれの数式なんかが書かれてあることだ。
俺はこれのおかげで株式を買うことに対しての敷居が思いのほか上がってしまった。

なので、こんなコンビニ本1冊読んだくらいで株を買うのはとても危険だと思い、この本に紹介されていた初心者向けの単行本を2冊購入し、時間をかけて読んだ。
しかしこの2冊も今読み返してみると株とはなんぞやという教科書的なことがダラダラと書いてあるだけで、テクニカル的な部分もしくは心理的な面に関しては基本的なことが簡単に書いてあるだけだった。

今となってはこの2冊を熟読するのは時間的にも知識的にも無駄であり、とくに株式相場史上稀に見るこの異次元な時期にこんなことをしている暇はないはずだった。4月に入り、日経平均株価が連騰しているのはニュース等で耳に入っていた。しかし俺は昔から変なところに拘りみたいなものがあるらしく、なにか新しい電化製品を使うにしろ新しいゲームをプレイするにしろ、とにかく一通り取説を読んでからでないと手をつけないというところがある。なので、アベノミクスと黒田バズーカによるコラボにより連日連騰する日経平均株価を横目に見ながら、今となっては短期投資家にはほとんど意味のないと思えるPER、PBR、EPS、BPS、ROE、自己資本比率、配当利回りなんかの理解にシコシコ勤しんでいた。
そしてそういう奴は得てして、要領が悪い人間だと相場が決まっていた。


(つづく)



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2017/03/07

マネるだけ!

またこのブログを長い間更新せず放置してしまった。
とにかく日々の生活に追われて暇な時間が無いというのと、年齢も40歳を越え、色々なモチベーションが以前にも増して目に見えて低下しているというのがその原因だ。
もはやこんなブログなどチェックしている人間は皆無とは思うが、まあ暇があって気が向いたらちょこちょこ更新していきたいと思う。
更新していないせいで話が全然進んでいない。とりあえず2013年春、引っ越して間もないところ、つまり前回のブログの続きから順々に書いていきたい。

引っ越して間もなく、4月に入ってすぐに黒田日銀総裁が異次元の金融緩和なるいわゆる「黒田バズーカ」をぶっ放した。
その前年の11月からのアベノミクスでたった4か月ですでに日経平均が4,000円も爆上げし、そこから黒田バズーカによって1か月半でさらに3,000円以上爆上げすることになるのだが、そんなアベノミクス祭りは当然各メディアにも波及し、書店でも株や為替関連の書籍をまったく投資なんかに興味も知識もなかった俺でさえよく目にするようになっていた。
そんな時、ある雑誌が俺の目に留まった。





IMG_1272.png



「初心者でもカンタン マネるだけ!」
「どのネット証券で、どの銘柄を、いくら買うか、全部わかります!」
「コレ1冊で始められる! 株&FX完全ガイド」
「ネット証券会社は楽天証券がベスト!」


全部で100ページほどしかない、いわゆるコンビニ本というやつだ。
しかしまあ、そんな薄っぺらなコンビニ本で「株&FX完全ガイド」とはずいぶんとまた大風呂敷を敷いたものだ。
そのほかにもいかにもずぶのど素人、ど初心者を食い物にした調子のいい謳い文句が並ぶ。
こんなもんを鵜呑みにしてなんとなく気軽に投資を始めて泣きをみる主婦やら底辺労働者の姿が容易に目に浮かぶ。



そしてそこにはこの雑誌をしばしジッと見つめ、おもむろに手を伸ばす40歳前のオッサンの姿があった。


(つづく)


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2016/06/26

女子行員

電話をしてみると、担当者は女性であった。
声から察するに20代と思われる若い女性のようだった。
さっそく事の経緯を詳しく聞いた。

俺も金融の知識がほぼ無いため、気付けばそのやり取りは1時間近く続いた。
それで、簡単に説明するとどうやらこういうことのようだった。
前に説明した通り、母は最初200万ほどで米ドルを買ったが、アベノミクス前でドル円は80円前後をうろついており、どうやら上昇の兆しが見えないとのことで、銀行側からそのドル円で豪ドル建ての社債を購入することを母に勧めたらしかった。社債などと言われても母がそれを理解できるわけもなく、しかしこれを購入すれば月々数%の利息が入ってくるという部分のみでどうやらこれを購入してしまったらしかった。
というより、俺が思っていた以上に母はなにも理解していなかった。なにせ、母はドル円で豪ドルを買ったと思っていた。だから最初の母とのやり取りで1度も社債などという言葉は出てこなかったし、俺も今母が持っているものは豪ドルそのものだと思っていた。
そういうわけなので、電話で俺が事の経緯を理解するまで1時間近くもかかってしまったというわけである。

そして母にあなたが今持っているのは豪ドルではなく豪ドル建ての社債を持っているのだ、と説明しても「いや、私が持っているのは豪ドルだよ」と言い張り、なかなか納得してもらえなかった。まあそれもそうだろう、社債という存在自体よくわかっていないのだから。

まあ俺も当時は社債というものがまったくといっていいほどわかっていなかったが、この一件のおかげでだいたい理解することができた。
まあ簡単に言えば社債というのは企業の借金だ。だから社債を購入するということは、その企業に金を貸すということだ。
だから個人が消費者金融で金を借りた場合、返済時にある一定の利率に従い利子を支払わなくてはならないのと同様に、社債を購入すればその企業が社債の購入者に利子を支払わなくてはならない。
そして期限がくれば社債を購入した額が戻ってくる。つまり元本が返還されるということだ。
そうなると支払われた利子分が利益となる。
リスクとしては、その企業が倒産した場合、元本が回収できなくなる可能性がある、など。
また社債は期限の途中で売ることもできる。ただしその場合売値は市場価格に左右されるため、購入価格を下回る場合もある。

そこで今回の場合、アベノミクスによりドル円は2012年12月の78円から翌年2013年5月には一気に103円を付けており、わずか半年で25円も上げたわけだが、その円安効果と中国はまだバブルが弾ける前のバブル真っ只中だったので、資源国であるオーストラリア経済は中国経済に大きく影響を受けることもあって、こちらも2012年11月の80円から翌年2013年4月には一気に105円を付けていた。

母からドル円を手放したと聞いてガッカリしていたが、実は豪ドルも同じように爆騰していたのだ。
この頃は為替など全然興味が無かったのでまったく気付かなかったが。
それでその女子行員が言うことには、この社債をこのまま満期まで持った場合の利子の全額よりも、今この豪ドル建ての社債を売って円を買戻した方がその為替差益による利益の方が大きいと言うのだ。

その差益は、母が最初米ドルを買った資金が200万だから、そこから計算してもすでに20万円台だと言われた。
さらにその女子行員が言うことには、豪ドルが100円を越えるのは5年ぶりであり、急激に上げてきたので今後これ以上上がるかどうかわからないからここで利益確定したらどうか、ということだった。

俺は何度も言うが、金融や為替の知識がほぼ無い上、相場観なども皆無だから今の位置がどのような状況かというのがいまいちよくわからなかった。
しかしアベノミクスでドル円も株も右肩上がりっぽいし、まだ様子見してもいいんじゃないか、と思って母にもその旨を伝えた。
母もとりあえず様子見で、ってことでその社債はそのままもっておくことにした。

しかし今回の突然降って湧いて来た一件で俺はふたつの小さな衝撃を覚えた。
まずはおそらく俺より10歳は若いであろうこの女子行員(母は銀行でやり取りしているので実際にこの担当の女子行員とは何度か会っている)が、俺の質問に対し即座に返答をし、理路整然と金融の説明をしてくる態度に対し、少なからずショックを受けた。
なぜならば、俺が街中で声を掛けていたかもしれないような若い女が普段はこれほどの金融知識を持ってしてそれで普通に仕事しているということと、それとは対照的に40歳近くの中年の俺が金融知識においてその若い女子行員の足元にも到底及ばないという事実を突きつけられたことだ。
そしてもうひとつの小さな衝撃は、金融商品というのは驚くほどあっけなく大きな利益が乗るものだな、ということだ。

引っ越してきてさあ新生活スタート、色々やろうと思っていたことがあるはずだったが、この出来事により俺の頭の中は常にそのふたつの小さな衝撃によって支配され続けることになる。

(つづく)


ちなみに豪ドルはその女子行員が忠告した通り、1013年4月の105円というのが高値となりそれ以降今まで更新されていない。(現在75円50銭付近)
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